鹿児島縣護国神社
鹿児島市草牟田2-60-7(平成22年1月6日)
東経130度32分32.93秒、北緯31度36分17.33秒に鎮座。
この神社は鹿児島工業高校東に鎮座しています。全国に鎮座する護国神社と同じく、この社も広い社地が整然と整えられてとても綺麗に整備されています。でも自衛官、警察官、消防関係者でその職務中に殉ぜられた方々をもお祀りしている所為でしょうか、それとも他に何か理由があるのでしょうか、護国神社というよりは一般の神社と同じ感覚で初詣をなさっている方が多いように見うけられました。護国神社の崇敬者の高齢化が進む中、若い世代にも親しまれる神社…というのは良い傾向なのではないでしょうか。
御祭神:明治維新以降の国事に殉じた鹿児島県出身の英霊総計77,600柱(平成21年6月現在)
祭礼日:4月13日・10月13日
由緒:明治元年(1868年)、明治天皇から与えられた鳥羽・伏見の戦いの戦死者を祀るための金500両により創建された靖献霊社(いさたまれいしゃ)に始まる。当初は照国神社の右手横(現在の戊辰駐車場)に鎮座していた。
明治8年に鹿児島招魂社に改称、昭和14年(1939年)に鹿児島県護国神社に改称した。
戦後の昭和23年(1948年)に現在地に遷座した。昭和22年(1947年)、軍国主義施設として廃止されるのを免れるため、薩隅頌徳神社(さつぐうしょうとくじんじゃ)に改称した。昭和26年(1951年)に現社名に復した。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
鹿児島縣護國神社は、明治元年、戊辰戦争で国家のため一命を落とした勤王忠死の英霊をお祀りせよとの明治天皇様の思召しにより金五百両御下賜され、当時の藩主島津忠義公が鹿児島県山之口馬場町に建てられた靖献霊社に始まります。その後明治七年、官祭鹿児島招魂社となり、昭和十四年鹿児島縣護國神社に改称、内務省指定神社となりました。
御祭神は、現在七万七千余柱で本県出身の縁のある幕末以来国難に際し尊い生命を祖国の為に捧げられた方々ならびに自衛官、警察官、消防関係者でその職務中に殉ぜられた方々をお祀りされています。
(「鹿児島縣護国神社公式サイト」より)
参道入口の石段 |
社号標 |
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参道の様子 |
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参道途中に建つ銅製鳥居 |
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参道の様子 |
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拝殿前、昭和43年生まれの狛犬
護国神社に多い、所謂、招魂社狛犬ではないのが好感が持て、私としてはとても嬉しいですね〜。この狛犬は鹿児島の狛犬に多く見られる長い口髭は蓄えていますが、背筋を伸ばした姿は随分スマートで普通の狛犬らしい格好になってきています。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(昭和43年(1968)4月建立) |
入母屋造り千鳥破風付きの大きな拝殿 |
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拝殿内の様子 |
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本殿は屋根の上部だけが僅かに見えています。 |
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母子像 |
拓魂碑 |
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一四五連隊記念の碑 |
硫黄島の碑 |
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鹿児島県殉難警察官之碑 |
消防殉職者之碑 |
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絵馬 |
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