鹿児島神社

鹿児島市草牟田2-58-3(平成22年1月6日)

東経130度32分29.77秒、北緯31度36分22.57秒に鎮座。

 この神社は鹿児島工業高校北に鎮座しています。社頭や境内に大楠が聳える佇まいの素敵な神社で、特に境内の樹齢・約600年といわれる大楠は枝振りも良く見応えがあります。
 入口右側には「縣社鹿児嶋神社」と書かれた社号標がたち、石鳥居を潜ると左右に門守神社が祀られています。石段の上が境内で、田之神や逆立ち狛犬が乗る灯籠があり、眼を惹かれます。白壁に落ち着いた色合いの紅い柱の拝殿や本殿は、背後の緑の森と良くマッチして双方を際だたせてています。

 御祭神:彦火火出見命、豊玉姫命、豊玉彦命、豊受大神
 祭礼日:春祭・2月18日、秋祭10月18日
 境内社:門守神社
 由緒:旧名「宇治瀬神社」。国史見在社で、鹿児島三社の1社とされる旧県社。「開聞十八社の其一所」で、「祭る所は龍神たるべく、二月の祭より宇都瀬といい、十月より宇津佐とい」ったという。
 創建年代は不明であるが、『日本三代実録』貞観2年3月20日条に従五位下から従五位上に昇叙された薩摩国「鹿児島神」に充てられ、その当時には既に鎮座していたと見られている。
 古来上下から尊崇されたが、応永年中(14世紀末から15世紀中頃)に島津元久によって社殿が建立されるなど島津氏による崇敬も篤く、藩政時代には家久以下代々の薩摩藩主から「鹿児島三社」と称され、家督を相続するとまず初めに当神社に参詣するのが例とされ、安政6年(1859年)には正一位の位記が授けられた。明治5年(1872年)に県社に列した。
 旧名の「宇治(氏)瀬」は門前を流れる甲突川の流れの早さからきているとも言い、また、鹿児島湾に浮かぶ「神瀬の小島」なる島に鎮座する神社が移転したとも言う。山手にありながら「海の神」として崇められてきたのもこの伝承を裏付けると考えられる。  また、『三国名勝図会』によると「甲突川」という名前自体が、当神社の例祭の月を「神月(こうつき)」と称したことに由来し、「神月川」から現在の名称に変わったという説もある。
 「鹿児島神社」は垂水市にもあり(鹿児島神社)、霧島市の鹿児島神宮も古名を「鹿児島神社」という。3つの鹿児島神社を直線で結ぶと桜島を囲む二等辺三角形になり、これらの神社は元々は桜島(古くは鹿児島と呼ばれたとする説がある)を神体として祀る神社だったとする説もある。
 かつては2月朔から18日まで祭りが行われ、その間は領主、藩主といえども他国は勿論、他所へ赴くことも禁じられていたという。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
入口の鳥居 社号標
「縣社鹿児嶋神社」
石段参道両脇に祀られる門守神社
田之神 逆立ち狛犬が乗る灯籠
灯籠上の逆立ち狛犬
猿のような顔つきで、前脚で身体を支え、後ろ脚を大きく広げて逆立ちをする様子は微笑ましいですね。
 
拝殿
本殿
社務所内に置かれている旧社殿の彫刻類と鬼面
御神木・大楠
樹齢・約600年、幹周・7.3m、樹高・24.5m
年代を経た巨樹には、やはりパワーや癒しの効果があるのでしょうか?私達が参拝していると、地元の方と思われる6・7人の方達が参拝後にこの木の周囲に集まり、それぞれ手をかけたり、身体を寄り添わせたりされていました。