一之宮神社

鹿児島市郡元町2-4-27(平成22年1月6日)

東経130度32分55.5秒、北緯31度33分33.81秒に鎮座。

 この神社は中郡小学校に隣接して鎮座しています。入口には古そうな鳥居が立ち、石段の参道を上がると境内ですが、市街地の神社ながら、境内周囲に大楠が林立する鎮守の杜をもつ清々しい神社でした。
 境内に入ると参道右側には昔の力自慢の男達が競ったであろう「力石」が置かれ、正面大楠の前に妻入りの拝殿と本殿が建立されています。この社殿は明治30年の建築で、第二次大戦で焦土と化した市内中心部では、現存するほぼ唯一の木造社殿だそうです。
 又、嘗ての別当寺・延命院の遺品と考えられる、大永の名号板碑(鹿児島県指定有形文化財)や、弥生式住居跡等も境内にあり、保存樹林の大楠と共に見所の多い、素敵な神社です。

 御祭神:大日靈貴命
 祭礼日:打植祭(お田植神事)・1月3日、七種祭・1月7日、節分祭(厄払)・2月節分の日、祈念祭(春祭)・3月9日、六月灯(夏祭)・7月9日、例祭(御神幸)・11月9日、七五三祭・11月15日、新嘗祭(秋祭)・11月23日
 由緒:人皇第38代天智天皇の御代、天智天皇の一之姫宮が、枚聞神社(薩摩一之宮)の分霊を勧請し、初め涙橋畔に奉祀されましたが、その後現在地に遷座されたと伝えられる、市内最古の神社です。
 当所より一之宮大明神と称え、広大な荘園を抱え、別当寺として延命院をもつ、薩摩国有数の大神社となりました。
 島津初代忠久公以来、毎年元旦に当主自ら先ず一之宮、次に二之宮(現草牟田・鹿児島神社)、次に三之宮(現川上町・川上天満宮)を巡拝するのを例とし、十八代家久公までその例が続きました。
 元禄の頃には「一條宮」と改称し、下って明治初年には「郡元神社」と改称しましたが、昭和30年当初の一之宮神社に復しました。
 昭和25年に境内を発掘したところ、地上からわずか1mのところで弥生時代の集落が発見され、付近の鹿児島大学郡元キャンパスや鹿児島市立中郡小学校からも弥生時代から平安時代に至る集落や水利施設が発掘されたことから、この一之宮神社周辺が律令制の「鹿児島郡」の中心地だったのではという説があります。
(一部「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」参照)

社頭
入口の鳥居
参道の様子 社号標
境内の様子
妻入りの拝殿
拝殿内の様子
本殿
灯籠三種
  
別当寺・延命院の遺品と考えられる、大永の名号板碑(鹿児島県指定有形文化財)
 
境内北にある弥生式住居跡
大楠が林立する鎮守の杜
鎮守の杜を形成する「保存樹林」拡大写真はこちらで
力石