荒田八幡宮

鹿児島市下荒田2-7-21(平成22年1月6日)

東経130度33分20.46秒、北緯31度34分13.53秒に鎮座。

 この神社は荒田八幡駅東に鎮座しています。市内の神社としては規模が大きく、初詣客の整理のために道路と境内に二人の警備員さんが配置されていましたが、この社は鹿児島神宮の別宮で、宮司さんは鹿児島神宮宮司が兼務されているそうです。
 境内周囲は綺麗な白壁が巡らされ、大きな鎮守の杜が境内を覆っています。特に御神木の大楠は樹勢も良く、横に枝を張り出した整った姿をしています。
 境内にはいると直ぐ左右に門守神社が祀られ、その後ろに大きな鳥居が建立されています。正面には入母屋造り千鳥破風付きの大きな拝殿が建ち、白が基調で朱の柱を持つ本殿は大きな流造りの社殿でした。社殿周囲には10社以上の末社・境内社が、きちんと社名が書かれた木札を付けて祀られています。非常に整備の行き届いた綺麗な神社でした。

 御祭神:応神天皇、玉依姫、神功皇后
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月3日・元鶴祭、1月7日・七草祭、1月15日・成人の日、2月3日・節分・厄払い、2月21日・紀元祭、3月21日・春奉大祭、6月30日・夏越の大祓、7月24日・夏祭り・六月灯、7月25日・本宮祭、10月23日・秋季例大祭、10月第四日曜日・御神幸祭、11月15日・七五三、11月23日・新嘗祭、12月30日・大祓祭・古神符守、12月31日・除夜祭
 境内社:権現社(事解男命、速玉男命)、火の神三宝荒神(火産霊大神 )、祖霊社(天照大神、産土大神)、恵比寿神(事代主大神)、田の神(御歳大神)、稲荷神社(豊受大神、倉稲魂大神)、蛭子神社 (蛭子命)、水神(水波能売大神)、地神(大地主大神)、門守神 (櫛磐間戸尊、豊磐間戸尊)
 由緒:和銅年間(708)桜島噴出と時を同じく創建 この間幾多の戦火にも焼失せず
天文21年(1552)島津第15代貴久公現在地に再興 昭和58年創建1275年奉祝社殿流造、幣殿、拝殿、入母屋造、屋根銅板葺に改築造営、
往古は鹿児島の宗社なり、大隅国正八幡宮 今の鹿児島神宮御領鹿児島荒田村なり、その領地の境西を守護せよと荒田八幡宮(別宮)を創建
元亀2年(1571)4月大隅国今の肝属郡辺りより財徒襲い来たりて当宮の神宝を奪い荒田浜より船に乗りて帰る途中俄に暴風おこりて船、神宝諸共海中にしずみたると云う、毎年正祭 秋祭 荒田浜に行宮を設け神輿を護りて下る。これを八幡浜下りと云う、又荒田領地は火災のない所と伝え知られし。(境内由緒より)

 当宮の四方には東西南北に「随神」が置かれ、旧・荒田荘時代の境界を示すと考えられている。以前は正祭に合わせ、「堺回り」(おさけめぐい)と称する神輿担ぎが、祭日を中心とした直近の日曜日にあったが、現在は交通事情等により境内で神輿担ぎが行われている。
 北随神祠 - 鹿児島県立甲南高等学校東南角。当校は現在、全敷地が上之園町であるが、以前は北側40%が上之園町、南側60%が上荒田町で、この南側が荒田荘に属していた。
 東随神祠 - 鹿児島市立天保山中学校東南角。鳥居は改築されている。一部のみ彩色。
 西随神祠 - 鹿児島市田神2丁目城ヶ平橋東南。
 南随神祠 - 県知事公舎東南角。
随神祠が置かれた土地は、かつて神領であったため、現在は県立高校・市立中学校・公舎といった公的敷地になっている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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神社入口
八幡様通碑
元亀2年(1571)大隈の肝属郡より賊徒が襲い来たり、八幡宮の神宝を奪い、舟に乗りて帰る途中、俄かに暴風おこりて舟もろとも海にしずみたりと云う。毎年正祭には荒田浜に行宮を設け、神輿を護りて下る。これを八幡浜殿下り(はまどのくだり)と云う。
社号標
門守神社(櫛磐間戸尊、豊磐間戸尊)
拝殿
本殿
末社入り口の鳥居
権現社(事解男命、速玉男命)
三宝荒神(火産霊大神 )
 
恵比寿神(事代主大神)
 
田の神(御歳大神)
 
地神(大地主大神)
 
水神(水波売大神)
 
田の神? 末社群
稲荷神社(豊受大神、倉稲魂大神)
 
蛭子神社 (蛭子命)
 
祖霊社(天照大神、産土大神)
 
御神輿殿倉と陳列されている御神輿三基
市指定保存樹林・御神木の大楠
後奈良天皇の御代天文22年(1553)、島津第15代貴久公が八幡宮再興の際に植え付けられました。
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拝殿前から境内・入口を振り返る