伊佐智佐(いさちさ)神社

鹿児島市和田3-41-1 (平成27年3月2日)

東経130度30分57.98秒、北緯31度30分20.59秒に鎮座。

この神社は、JR指宿枕崎線・慈眼寺駅の南東1.4km程の辺り、海にもほど近い和田の住宅地に鎮座しております。

御祭神 伊弉冉尊・速玉男命・泉津事解男命・ 熊野本宮新宮合を合祀

由緒
伊佐智佐は、地名で建久8年(1197)薩摩国図田帳に伊佐智佐18町谷山郡内とある。俗に六所権現又は和田権現と云っている。(初めの頃は社有地の広さが30町であった。)
往古・紀伊国(現和歌山県)熊野本宮・新宮三所を瀬戸山・竹之内の両氏が、当国に守り下りて、伊佐郡藺牟田に神社を建立したが、其の後神託に因り、志布志槻野・大隅郡佐多と次々に遷座された後、又神託により佐多からお供6人と舟で当和田久津輪崎(現市民体育館附近)浜の平石の上にお着きになり玉林城の聖地に御遷座された。
例祭日は、浜下りと云って御神輿が御上陸由緒地の和田浜久津輪崎に行列を整えて御神幸になり道中神楽を奏し、伶人二人が剱舞をなし久津輪崎では神舞をなした。神幸地は工業団地となった為後神幸が出来なくなった。正徳3年(1713)6月、江戸時代神祇道官領卜部兼敬が正一位の宗源宣旨を奉納され谷山惣鎮守神社産土神となった。
境内由緒書き より。

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神社入口

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

境内前の風景