加紫久利神社

出水市下鯖町1272(平成22年1月7日)

東経130度20分56.21秒、北緯32度06分54.24秒に鎮座。

 この神社は肥薩おれんじ鉄道・米ノ津駅の南東約600mに鎮座しています。参道入り口には台輪鳥居が立ち、そこから社殿までは約200mほどもある広大な社域を持つ神社です。参道は真っ直ぐ境内入口まで続き、境内入口には根巻鳥居が立っています。
 その両脇には門守神社が祀られ、境内中央には茅の輪が置かれています。参道を進んでいくとカッパや狛犬などが置かれ、入母屋造り千鳥破風付きの拝殿の後ろに、大きな流造りの本殿が建立されています。
 境内左には稲荷神社が祀られ、その他、明治10年の西南戦争で焼失した社殿の鬼瓦、50体の羅漢さん、「出水川」石灯篭、開運桜「大蛇しだれ」等、目を奪われる物が点在しています。

 御祭神:天照皇大神、相殿:多紀理毘賣命、誉田別命、息長帯比賣命、表筒男命・中筒男命・底筒男命、合祀:伊邪那岐命、伊邪那美命
 祭礼日:大祭−春季例大祭(祈年祭)・3月4日・5日、秋季例大祭(新嘗祭)・11月22日・23日、中祭−歳旦祭・紀元祭・昭和祭・御田植祭・明治祭・天長祭、小祭−朔日祭・月次祭等・年30回
 境内社:稲荷神社、門守神社等
 由緒:御鎮座年代は社伝によれば、遠く神代の創祀という。
 既に貞観2年(860)3月、薩摩国従五位以下加紫久利神加従五位上と三代実録に載せられて居る。延喜式には、薩摩国頴娃郡枚開神社(薩摩一の宮)薩摩国出水郡加紫久利神社と、薩摩国では二社記載されて居り、古来薩摩二の宮として代々朝廷の尊崇厚く信仰の中心であった。
 島津氏の治世になってからも特に薩摩の総社として尊ばれ、22代島津吉貴公は社殿を改築して六十石を與えている。社殿は歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、明治6年、県社として再興されたのちは神域広大にして神厳この上なく深く官民の尊崇するところであったが、明治10年6月3日西南の役の兵火にかかり門守杜以外の社殿、神山、神宝、古文書等灰燼に帰した。
 其の後、明治13年社殿は再興されたが、地租改正、又、農地改革に依って境内地は縮小された。そして戦後社殿は老朽し、老樹は虫害をうけて神域はとみに荒廃するに至った。氏子一同神域の荒廃を座視するに忍びず、社殿の改築を計り、昭和36年3月、現在の社殿が創建され、さらに平成元年一部改築される。(御本殿に立派な鶴と亀の彫刻があることから最近では鶴亀神社として信仰が深い。)

参道入り口 一の台輪鳥居
参道の様子
境内入口
境内入口に建つ二の根巻鳥居
門守神社
茅の輪
境内入口
境内入口にいる御大典祈念に奉納された昭和3年生まれの狛犬
阿は口中に玉を含み、鬣がふさふさして上半身の大きな狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)11月10日建立)
境内入口に置かれた二組のカッパさん
拝殿
拝殿木鼻・狛犬と象
本殿
境内社:稲荷神社 入口と拝殿・本殿
末社 末社
宝暦(1751〜1763)のはじめ、地元出身の相撲取り「出水川」が巨漢建ケ閑に勝利したお礼に寄進した灯籠
境内左石垣上に置かれている50体の羅漢さん
明治10年の西南戦争で焼失した社殿の鬼瓦
開運桜「大蛇しだれ」