加治木護国神社

姶良市加治木町仮屋町212 (平成22年1月4日)

東経130度40分3.75秒、北緯31度44分14.92秒に鎮座。

この神社は加治木駅の西北西約500m、加治木高校南に鎮座しています。道路からは豊かな鎮守の杜が見え、境内は綺麗に整備清掃されています。私達が参拝したときには、丁度加治木高校の先生・生徒達が境内を清掃している最中で、今時の高校生にしては珍しく、見知らぬ私達にもきちんと「おはようございます。」の挨拶をしてくれました。こういう子供達に会うと「まだまだ日本も捨てた物ではないな。」と頼もしく嬉しく思います。
社頭には楠の大木が何本もあり、入口の神明鳥居奥に妻入りの拝殿と流造りの本殿が建立されています。社殿左側には、「戦正招魂之表」碑と「西南之役百周年記念碑」が立ち、境内右奥には加治木城南側の濠に架けられていた橋が移築されています。

御祭神 国家公共につくした人の神霊

由緒
加治木招魂社は初め、戊辰の戦役に於いて官軍に従い、国家のため身を犠牲に供した加治木郷の勇士の霊魂を祭祀した。爾来佐賀の戦乱を経て明治十年の戦役に至るまで、皇国のため功労のあった戦没者、病没者を合祀し、其の英霊を無窮に伝えんとした。
元官祭招魂社として、明治三年六月大字反土字端山に建築、同十八年現位置に社殿を改築し移転遷座した。昭和二十六年四月、国家公共につくした一般の人々をも合祀した。
鎮座地は加治木高校、柁城小学校等とともに旧加治木島津家の館跡地である。
鹿児島県神社庁公式サイト より。

御祭神:明治元年戊辰役、同10年西南役、同27年日清戦争、同37年日露戦争、昭和16年大東亜戦争の国事に殉じた加治木町出身、並びに縁故ある殉国の英霊
祭礼日:紀元祭・2月11日、みたま祭・7月24日、終戦記念祭・8月15日
由緒:明治3年 県下でも由緒ある官祭招魂社として、本町に鎮座
   明治18年 仮屋町(反土)に移転遷座
   昭和14年 内務省令により加治木護国神社に改称
   昭和20年 戦災により、仮殿を設ける
   昭和28年 宗教法人令に依る法人登記を完了
   昭和34年 今の場所に移転改築し遷座
   平成8年 台風の為、社殿大破し改築促進運動と、遺族会町内外の有志の協力により、平成9年6月新装。

社頭
入口の神明鳥居 社号標
拝殿
本殿
「戦正招魂之表」碑
西南之役百周年記念碑 日清出征記念碑
この欄干橋は、江戸時代には加治木城南側の濠に架けられていた橋で、此の地に移築されました。