住吉神社

姶良市住吉259-イ (平成27年3月2日)

東経130度35分38.04秒、北緯31度45分41.60秒に鎮座。

この神社は、姶良市役所の北西5km程の辺り、住吉池の南側に鎮座しております。

御祭神 表筒男命・中筒男命・底筒男命・伊奘諾尊・伊奘冉尊・鎮守神

由緒
和銅元年辛戌鈴木三郎政氏、同四郎政良は、摂州住吉の神霊を奉護し、下帖佐郷宇都の前岡で休輿した折、明け方に臼・舛・掻斗が目前に現れ、明神への供物として沢山の米を降らせた。政氏は瑞兆と非常に悦び、「改まる 年の始めに 米降りて 万の宝 今ぞ増すなり」と詠み、この地に住吉の神霊を安鎮した。歌に因みこの地を増田と名付け、また臼が一夜に十六の枝を生じたので、十六の宮と称して祀り崇めたところ、五色の幣帛が七本現れ、忽ち雲晴れ渡り陽を照らしたので、寺師村と名付けたという。政氏は当社より寅卯の方角に館を築き、嫡子には住吉の吉の字をとり吉元太郎政家と名付け、政氏は後に蒲生院松ヶ城に居住し、舎弟四郎政良は宮牟礼と姓を改めたという。
当社の後方にある住吉池は周囲の水田を潤しているが、その昔この池には大蛇が住み、年毎に娘を犠牲に差し出す定めであったという。ある年、占いにより娘を差し出す家にあたった老夫婦が嘆き悲しんでいると、一人の聖翁が現れ、娘に似せた人形と毒入りの酒壷を小船に乗せ池に流せよ、とのことであった。その通りにすると大蛇は毒酒を呑み竜気は天に昇り、蛇体は水底に沈んだ。喜び感謝する老夫婦に聖翁は、「我は是住吉の大神なり 今より往先牲を供進することなかれ」と、云い残して身を隠したという。このことから当社を聖之宮と称え、池の主を蛇王権現と崇め祀ったと伝える。
鹿児島県神社庁公式サイト より。

参道入口

鳥居

拝殿

本殿


住吉大明神

石祠