塩釜神社

高松市屋島西町 (平成21年3月28日)

東経134度05分47.18秒、北緯34度20分53.55秒に鎮座。

この神社は、屋島半島の西側付け根、屋島西小学校の東200m程の辺りに鎮座しております。この地に塩田を開いた「梶原景山」が創建した神社のようです。高松藩中興の祖と言われる、五代藩主松平頼恭(よりたか)の命により、讃岐で最初に築造された本格的な入浜塩田が、屋島西海岸の潟元に開かれた「亥の浜」です。後に砂糖・綿と並んで「讃岐三白」と呼ばれる讃岐の塩の基礎を創った、景山を称える碑が境内に建っています。

塩田開拓者 梶原景山
第五代高松藩主は藩財政を豊かにするため、梶原景山に潟元の浜を開くことを命じました、
宝暦三年(1753)塩田開拓にとりかかりましたがなかなかの難工事、播州赤穂から塩田経験者を呼びやっと亥の浜塩田を開くことに成功、その後も工事は続きましたが、景山は45歳で死去。その業績をたたえる石碑が、潟元塩釜神社に建立されました。
高松観光協会

今より二百有余年の昔宝暦年間に塩田が築造されて以来この地に鎮座せる塩釜神社が昭和四十七年九月十六日夕刻四国地方に来襲した台風第二十号の豪雨により山崩れが起こり神社本殿拝殿石段等が流失破壊されたので安全なる現在地に本殿を移し再建した。
昭和四十九年七月 三ヶ浜 塩業者一同
再建記念碑

神社入り口

境内。左手の玉垣の中央が景山頌徳碑。

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久元年(1861)9月吉祥日建立)

本殿

海を向いて建っている、景山頌徳碑と桜。玉垣には梶原姓が並んでいます。御子孫の方々が近くに大勢お住まいなのでしょうか。しかし景山が精魂を傾けた塩田も今は埋められ団地等になっています。地下の景山に合掌!