三石神社

高松市伏石町 (平成21年3月27日)

 慶長七年寺島弥兵吉長の創建と伝えられ昔から当社東の方立石神社南東の居石神社とともに三所八幡又三石八幡といわれている。祭神は毒蛇を憎みその危害から人々を守る神として知られている。
 今から三百七十七年前慶長六年八月のある晩この村の郷士寺島弥兵吉長は家から南西約三百メートルの林の中から出ているあやしい光を見つけた。不思議に思いながらそのまま寝たが、あくる晩もまた次の晩もその光が見えるのであった。不審に思った吉長はその正体を見届けようと家来を連れて林にわけ入った。あやしい光は林の中程にある大きな石から出ており、その石は方一丈余(約三メートル四方、高さ三尺約一メートル)ちょうど伏したような形のもので地面に埋まっている部分はどれくらいあるか想像もつかない大石であった。
 吉長は「これはただの石ではない。きっと神様の宿った石で自分を呼びよせるために光を出したに違いない」と一心に石に祈りそのわけをおうかがいしたのである。神様のお告げは次のようであった。「ここから三百歩ばかり東へ行くと立石という大きな石がある。松縄村には流石があり、また屋島の麓浦生の海底には鰭石といわれる石がある。この四つの石はどれもみな神の宿る神石である。世の人々はこれを知らないから今ここにそのありかを教えておく。これから後は必ず神として年ごとの祭を怠ってはならぬ」と。吉長はおそれ多く思いここに社を建て村の産土神としてまつることにした。また立石流石にもお社を建ててまつることになったという。

三所八幡又三石八幡とも言われ、神石を祀った神社のようです。石は四つあり、伏石・立石・流石・鰭石。石は四つあるのに神社が三つしか無いのは、海底の鰭石には神社が建てられなかった為でしょうか。また、流石には居石神社が建てられたようです。しかし神石を祀った神社の御祭神が応神天皇・神功皇后・玉依姫命と言う八幡系なのは不思議です。また、祭神は毒蛇を憎みその危害から人々を守る神として知られている。と書かれていますが、農業国日本で蛇は、嫌われるよりも、信仰の対象になることもあり、ここも不思議です。思いつくのがインドの孔雀明王。

孔雀明王(くじゃくみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王のひとつ。 衆生を利益する徳を表すとされる。
元来はインドの女神マハーマーユーリーで、パーンチャ・ラクシャー(五守護女神)の一柱。
マハーマーユーリーは「偉大な孔雀」の意。摩訶摩瑜利(まかまゆり)、孔雀仏母、孔雀王母菩薩、金色孔雀王とも呼ばれる。憤怒の相が特徴である明王のなかで唯一、慈悲を表した菩薩形をもつ。孔雀の上に乗り、一面四臂の姿で表されることが多い。4本の手にはそれぞれ倶縁果、吉祥果、蓮華、孔雀の尾を持つ。なお、京都・仁和寺の画像(北宋時代、国宝)のように三面六臂に表わされた像もある。
孔雀は害虫やコブラなどの毒蛇を食べることから孔雀明王は「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」があるとされ信仰の対象となった。後年になると孔雀明王は毒を持つ生物を食べる=人間の煩悩の象徴である三毒(貪り・嗔り・痴行)を喰らって仏道に成就せしめる功徳がある仏という解釈が一般的になり、魔を喰らうことから大護摩に際して除魔法に孔雀明王の真言を唱える宗派も多い。また雨を予知する能力があるとされ祈雨法(雨乞い)にも用いられた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

明治以前の信仰を是非知りたいものです。