川東八幡神社

高松市香川町川東下 (平成21年3月27日)

東経134度02分19.91秒、北緯34度14分33.29秒に鎮座。

この神社は、高松空港の北東3km程の辺り、竜満池の北東にある油山と呼ばれる、小さな山の頂近くに鎮座しております。竜満池に御旅所があり、長い参道は桜並木で埋め尽くされています。しかし、我々が訪れた時は未だ蕾で残念!。

1. 當八幡宮は往古菅原道真朝臣讃岐守として當國に御巡見の折竜満山の景色絶なるを惜しみ給ひ昌泰二年(899)山城国男山八幡宮より御神霊を勧請し浅野邑横岡山に社頭を御建立せり。
1. 人皇第九十八代の康安年間(1361,2)細川馬頭頼之朝臣油山の景色妙なるを感じ給ひ此の地に奉遷し給う。これ當社の鎮座まします起因にして後に山あり左右に谷あり前方に池ありて衆鳥遊歩寔に神霊鎮座相應の地なり。
1. 天正の頃兵火に罹りて焼失、文禄の頃社頭祭礼等一時退転せしも慶長二年(1597)十一月川東上下氏子社傳奉造営神徳宏遍日々夜々御加護不断なり。
1. 天明六年(1786)本殿改築社頭隆昌に向ひしも、大正二年一月不慮出火焼失一同恐惶。大正四年再建神事奉斎以て國土鎮護生業繁栄氏子繁昌天下萬世なり。
當八幡宮の御旅所は始め山の麓東寄りの所にありしも明治初年の頃竜満池の中に御旅所構築の議起り時の氏子総代池田六平中条留六奥田鶴次等の三氏中心となり氏子の労力奉仕と永き歳月を要し崇高なる敬神の念と秩序ある団結の力は遂に大工事を完成せり誠に感激の極みなり。
1. 昭和八年池田萬氏の発起に依り大改修を行う御旅所は幅六間延長百五十間余面積九百八坪に及び近郷に其の比を見ざる所なり。
1. 當八幡宮創建より今日に至る間實に壹千五十余年又油山の當地御鎮座より五百九十余年の星霜を経て今日に至りぬ。
茲に其の概を記す。

昭和四十二年三月吉日建之

参道入り口に立つ一の鳥居

参道

参道左右の狛犬。丁寧に作られた良い狛犬です。拡大写真はこちら。

(慶応年間建立)

神門と参道

境内

拝殿

拝殿内部

本殿

金比羅社

四方社

地神社(社日) 三寶荒神

境内より見る竜満池。中央が御旅所。

竜満池と御旅所入り口。

竜満池は(北田井池・大野池)は寛永年間(十七世紀)に生駒高俊公が伊勢国から招いた西鶴八兵衛によって築かれたという。竜満池が築かれる以前、ここには梅ケ井出水という小さな出水があった。いまも池底でわき水があるといわれる。竜満池の北側には川東八幡神社が祭られており、そのお旅所は明治初期に池の中に設けられた。また、昭和の初めごろには仏生山・塩江間にガソリンカーが通り、桜の木も植えられて「花の名所」として広く知られるようになった。今では、竜桜公園と名づけられて、桜の木も増殖されるなど整備されている。さらに東南は埋め立てられて、古きおもかげと調和した建物が建っている。山と水のある公園として讃岐百景にも選ばれている。

一分咲位だろうか、満開には少し早い桜並木の参道。

御旅所の鳥居

御旅所

御旅所より見る八幡神社