高松市宮脇町1-30-3 (平成21年3月28日)
東経134度02分13.56秒、北緯34度20分02.74秒に鎮座。
この神社は、八幡大神が現れたという、石清尾山の東側山麓に鎮座しております。一帯に石清尾山古墳群として知られる、多くのの古墳が点在しており、古くから開けた土地だったようです。又、さぬき十五社一つであります。
石清尾(いわせお)八幡宮の社名は、社殿を造った赤塔山が亀ノ尾山(亀命山)の山裾にあたり、石清水と亀ノ尾をひとつに併せて、「石清尾」となったと言われております。亀ノ尾山の摺鉢谷から岩清水が渓流となり、その裾の処の八幡様ということこの名が付いたのでしょう。 この辺りには、亀命山、亀阜など亀とつく地名が多く見られますが、当時、八幡様の山の際までが海で亀がたくさん這い上がって来ていたからだと言われております。
石清尾八幡宮公式サイトより。
祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
由緒
社伝によると、延喜一八年(918)八幡大神が亀命山山上に現れ、時の国司が山上に祠を建てて祭ったと言われる。また、石清水八幡宮の分霊を祭ったともいう。別に社の由緒に関しては、当社の縁起は年歴久遠にしてその濫觴定かならずとも云う。
貞治年間(1362〜1368)細川右馬頭頼之が戦勝を祈願して霊験をこうむり、社殿を拡築し武具を奉納し、毎年四月三日に祭礼を行った。これを右馬頭市という。
天正一六年(1588)生駒親正が讃岐に封じられると、高松城を築き、当社を城の鎮守と定め、社殿を改築し、高松の産土神とした。
松平頼重も当社を崇敬し寛永二一年(1644)には社殿を造営して現在地にうつし、社領二○二石余りを寄進、石灯籠、三十六歌仙の扁額等を奉納した。その後、宝永二年(1705)三代藩主頼豊が改修、以来歴代藩主は毎年社参を通例とした。
爾来改修をくり返し、すぐる大戦にも一部被害を受けたのみであったが、昭和六十一年十月、不測の火災により本殿、上拝殿は炎上、烏有に帰した。
平成元年九月、遠方近郊の崇敬者及び氏子、市内有力企業の奉賛を得て、本殿、上拝殿其の他社殿を改築整備し、神門、下拝殿を修復して、焼失前より更に規模を広げ、平成の復興は終了した。
境内由緒書より。原文はこちら。
八幡通りより見る神社遠景。後ろは石清尾山。
神社正面
随身門と社号標。香川県神社庁は境内左手にあります。
入り口を護るメタボな狛犬。写真では実感出来ないがとても大きな狛犬です。拡大写真はこちら。
(天保12年(1841)2月吉日建立)
随身門前、陶器製の狛犬。拡大写真はこちら。
(天明6年(1786)8月建立)
境内
石段下左右の狛犬。台座に藩中の文字が見えます。拡大写真はこちら。
(安政5年(1858)8月吉日建立)
下拝殿正面
下、上拝殿、本殿と三つ並んだ豪華な社殿。
上拝殿正面
本殿
神明社・若宮社への参道
何やら眠そうな狛犬です。年代は不明ですが「藩中」の文字が見えるので江戸時代と思われます。拡大写真はこちら。
神明社 | 若宮社 |
高良神社 | 御先神社 |
広瀬龍田五社神社 | 北口霊神社 |
絵馬殿
絵馬
燈籠