愛宕神社

高松市扇町1 (平成21年3月28日)

東経134度02分25.05秒、北緯34度20分38.09秒に鎮座。

この神社は、高松駅の西1km程の辺り、JRの線路、南側すぐに線路に背を向けて鎮座しております。周りは高松の下町と言った雰囲気で、空き地が殆ど無い為でしょうか。西側は扇町公園や老人いこいの家等があり、境内は有料駐車場となっています。由緒書にある「白砂青松」は想像すら出来ず、環境の変わりように驚くばかりです。

由緒書
祭神:火産霊神・伊邪那美神・天津姫之神
由緒、建治元年(鎌倉時代)篦原(のはら)郷西濱城主岡田丹後守清高の創建にして、近郷の住民より鎮火尚武の神として崇敬される。後国守生駒家が当神社を祈願所とする。境内に梛樹(夫婦和合の願いがかなう)あり、有名
境内由緒書より。原文はこちら。


當愛宕神社の祭神は火産霊之神・伊佐奈美之神・天津比買之神
の三柱の神にて遥かなる上古より瀬戸の波上する白砂青松のこの地に鎮座ましまし、開運勝利火伏の神として霊験あらたかにして人々の信仰あつきものありたり。されば中世京都よりやんごとなき姫君戦乱をさけてこの地来りこの神々を信仰せられしが良縁を得て一家繁盛されしと云ひ伝へらる。
又岡田丹後守この地に城をかまへこの神々を守護神とあがめしため多くの勝利を得て武威を輝かせりといふ。
これ等によれば生駒氏の前より威徳高き神社でありたるが松平氏の時代にも上下の尊信をうけ神域神殿尊厳きわめ、更に明治、大正、昭和と社運隆々たりしが昭和二十一年の戦災には全市焼失のなか本殿は勿論氏子の家々一つとして災害なかりしは火伏の霊験によると人々癒癒畏み尊信す。ここにより人々相より神域を整へ社殿を修復し愛宕神社会館を建築し神徳をたたふ。
そのとき岸本聖四郎画伯に神社の往昔姿を現さん事を乞う、画伯これに応えて力作を以て人々の期待に沿ひ神徳をあらわす・・・・・・に伝ふるものなり。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社入り口

神門と社号標

境内

かなり強烈な顔で睨んでいます。記憶に残る狛犬です。拡大写真はこちら。

(嘉永2年(1849)5月吉日建立)

拝殿

本殿

住吉神社

住吉さんを護る年代不明の出雲丹後、讃岐バージョン。拡大写真はこちら。

愛宕天満宮

地神社(社日)

地神社(社日)を護る剽軽者の狛犬。拡大写真はこちら。

夫婦和合の願いが叶う有名な梛樹は何処にあるのでしょうか。我々(俺だけかも)も是非夫婦和合の願いをしたかったのですが・・・・