安徳天皇社

高松市屋島東町 (平成21年3月28日)

東経134度06分59.63秒、北緯34度21分18.99秒に鎮座。

この神社は、屋島半島の中ほど東側海岸に広がる町並みの中に鎮座しております。その昔、有名な屋島の合戦が行われた場所で、歴史ファンには見所がそこかしこにあるようです。嘗ては壇ノ浦とも云い、近くには壇浦幼稚園や壇ノ浦農園等があり、神社の境内にも壇之浦自治集会所があります。ここ讃岐では壇ノ浦の合戦と言うようです。

安徳天皇社
寿永2年(1183)、平宗盛は、安徳天皇を奉じて、一の谷から屋島に来ました。ここは、壇の浦の入り江にのぞみ、後ろに険しい屋島の峰、東に八栗の山をひかえ、戦には地の利を得たところであったので宗盛は、行宮を建て将士の陣営をつくりました。安徳天皇社のあたりが行宮跡であったといわれています。
高松観光協会

この頃の屋島は独立した島になっていた。干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経は強襲を決意。寡兵であることを悟られないために、義経は周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけ、一気に屋島の内裏へと攻め込んだ。海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽し、内裏を捨てて、屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

神社入り口

入り口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和2年(1927)1月建立)

拝殿

本殿

源平の合戦で亡くなったつわもの達の墓をこの地に集めた、三界萬霊供養塔。

地神社(社日)

力士が支える手水鉢