國分八幡宮

高松市国分寺町国分2501 (平成27年10月24日)

東経133度57分11.23秒、北緯34度18分16.82秒に鎮座。

この神社は、JR予讃線・国分駅の北東1.5km程の辺り、如意輪寺公園のすぐ西側に鎮座しております。

御祭神 神日本磐余彦火々出見尊・足仲彦尊・息長足姫尊・譽田別尊・白蛇ノ神

由緒
國分八幡宮(以下、当宮)は、香川県高松市国分寺町の北端、国分台(縄文遺跡地)のふもとの小高い大禿山の中腹にて、四国霊場八十番札所國分寺の東北(國分寺から見て表鬼門)及び國分尼寺の西西南(尼寺から見て裏鬼門)に位置する場所に鎮座しています。

社伝(一部、宮司家口伝)によると天平勝宝年間の創祀と云われています。これより先に、諸国に國分寺が建立せられ当宮は、当國国分寺の鎮護並びに阿野七郷の産土神として創祀されたようです。僧空海が当国巡鍚の折、国分寺及び当社を修補し、以来、國分寺歴世の崇敬が篤く、社殿も壮麗であったそうです。
また、讃岐国司中御門中納言家成の裔孫新居城主藤太夫資村は、毎年当社に奉幣し祈願を斎行され、以降は藤家一族は武門の守護神として当宮を崇敬されました。
天正年間、兵火に掛かり、社殿宝物を等を焼失。慶長二年、国主生駒親正公が之を再興し、毎年吉例として武術試合を奉納され、親正の子一正もまた鳥居を当宮に奉納されました。
寛永二年、大地震のため本殿等が壌頽したため、新たに造営し、翌年三月正遷宮に際し、生駒高俊公の奉幣が行われました。また、高松藩祖松平頼重公も崇敬の念篤く、当社に長刀を寄進し、度々参拝が行われました。
万治年間に炎上、祀官森口左近は神慮と占いにより、岩川山上に新殿を造営して御神霊を遷しました。現社殿地が之であります。旧社殿地は、現在、当宮西側の宮池のある場所と伝えられています。 爾来、岩川(岩河)八幡、国府八幡と称えられ、昭和に入り、國分八幡宮と改名されました。昭和十五年、松平頼寿公参拝の折に、神饌料と社号扁額が供進されました。
現在でも、様々な御利益あり、として、県内外から多くの参拝者を迎えています。
國分八幡宮公式サイト より。

参道入口

一の鳥居

石段左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和5年(1930)10月建立)

二の鳥居

注連柱

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

神門

拝殿

拝殿内部

本殿


祓戸神社

末社

石祠

磐座

地神社(社日)

参道途中の御旅所