廣田八幡神社

高松市太田上町1037 (平成27年10月24日)

東経134度02分28.77秒、北緯34度17分54.21秒に鎮座。

この神社は、琴電琴平線・太田駅の西北西700m程の辺り、太田上町の街中に鎮座しております。

広田八幡宮の由緒
1. 祭神 玉依姫 応神天皇 神功皇后
何故海神を祀ったかは分からないが讃岐の国には女性の祭神が多い。その例としては、太田郷おもぢが原に祀る豊玉姫、百々襲姫などがある。
2-1. 由緒 三代物語には
太田八幡宮は郷社石清尾八幡の宮寺西願寺の供僧、其の祭を主どる」とあって広田八幡でなく、太田八幡となっている。
2-2. 全讃史には
「太田八幡宮は一ヵ村の社也未だ肇煙(ちょうえん)を知らず」とあって、社名を太田八幡と呼んでいる。これがいつどうして広田八幡となったのかは分からない。「一村の社也」と書かれているから、太田郷全域の氏八幡であったらしい。
3. 縁起としては
「姓氏録」に「中臣太田の連、天の児屋根命13世の孫御身の宿祢の後、蓋し此に居る乎。同族中臣の宮つ處の連、山田郡宮つ處に居る。以て証す可し」と書かれている。
姓氏録は平安時代の著。弘仁時代(810〜823)以前の名家の家系を記した書物で群書類従(総検校、塙保己一の作)に集録されている。
連は「いもぢ」にゆかりがある。鋳地(いもぢ)(司)は大宝律令(文武天皇、大宝元年)に制定された大蔵の役人で金銀の鋳造を司る。鋳司の連は戸口名籍を掌る人をいう。
臣連の家は上古名門の家名である。中臣の宮處の連は前田町堂床にある。中臣宮處本系帖は古事記に類する貴重なる文献であるが今はない。
若宮神社
遷座されたもので祭神は仁徳天皇である。境内(不輸租の地)二千十坪(約七反)とあり、氏子は幕末頃271戸であった。現在は約二千戸ある。
当社は大昔、中臣の太田の連、天の児屋根命の13世の孫御身の宿祢が、これを祀ったと伝えられています。このあたりを「いもぢが原」といって古語にそのゆかりを残しています。
寛永6年(1629)社殿、古記、宝物などすべて焼失したという。祭神は玉依姫と応神天皇、神功皇后であります。もとは太田の宮といって近郷数ヵ村の氏子から厚く崇敬された氏神様でありました。
今健神社の祭神も合祀されています。なお境内には遷座された仁徳天皇を祀る若宮神社があります。
境内由緒書き より
参道と社号表

参道と注連柱

神社入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

神門

神門内側の狛犬。拡大写真はこちら。
(平成3年(1991)5月吉日建立)

注連柱

注連柱前の狛犬。拡大写真はこちら。
(慶應2年(1866)丙寅建立)

拝殿

本殿


若宮神社鳥居

若宮神社社殿

石祠

地神社(社日)

御神木