白峰宮

坂出市西庄町1719(平成21年3月29日)

東経133度53分9.29秒、北緯34度18分28.63秒に鎮座。

 この神社は予讃線・八十場駅の南西約300m、第79番札所・金華山高照院天皇寺に隣接して鎮座しています。神社の手前約300mに社号標と参道入口の鳥居が建ち、神社入口には遠くからもよく目立つ朱色の三輪鳥居が建っています。この鳥居は明神鳥居の左右に脇鳥居をつけ、別名「三ツ鳥居」「三光鳥居」「子持鳥居」ともいわれる大変珍しい形をした鳥居で、未だ数例しか見たことがありません。
 鳥居を潜り参道を行くと玉垣があり、その奥が境内・社殿となりますが、途中で神社の参道と本堂・大師堂・納経所への遍路道が直角に交差しているので、神社への参拝者と天皇寺のお遍路さんが入り交じって、普通の神社では味わえない独特の雰囲気を醸し出していました。又、さぬき十五社一つであります。

 御祭神:崇徳天皇
 例祭日:10月の第一日曜日
 境内社:天満宮他十二社
 由緒:第75代崇徳天皇の霊をお祀りしたお宮で、別名を「讃岐院」とも呼び、天皇崇徳院は讃岐人が最も身近に感じる天皇の1人です。
 白峰宮は今から約八百年前、長寛2年(1164)10月10日、第78代・二条天皇の命により社殿を造営し崇徳天皇の霊を祀り、第80代・高倉天皇は当国の稲税千束を納め、源頼朝も稲税を納め下乗の碑を建てられました。
 第83代・土御門天皇は深く崇徳院を尊崇して勅願所を仰せ出され、第88代・後嵯峨天皇は社殿を再建し、御宸筆の願文に手形の朱印を加え、荘園を寄付されました。
 また高松藩主が四石五斗の神領地を寄進する等、歴代天皇の尊崇篤い宮でした。
 保元元年(1156)に起きた「保元の乱」に敗れた崇徳院は、38歳で讃岐に流され、以来9年間、都への思慕を抱きつつ、長寛2年(1164)8月26日、46歳で府中鼓岡木の丸殿で崩御されました。御所からの御返事を待つ間、残暑の節で白峰宮の裏手に有る弥蘇場の水上に上皇の玉体は安置されました。その場所は今も変わらず清水が湧き出ています。同年9月、綾松山白峯山への埋葬が決まり、9月16日弥蘇場を出発し白峯山頂に陵が築かれました。
 白峰宮の鎮座地を天皇といい、年一回10月の秋祭りは天皇祭りと人々に親しまれています。
 明治以前は「崇徳天皇社野沢井宮」、または「崇徳天皇明の宮」等と称されていましたが、明治5年、県社「白峰宮」と改称されて今日に至っています。
(参拝の栞より) 

参道入口
社号標
「崇徳天皇殯殿聖蹟白峯宮」
参道入口の靖国鳥居
社頭
神社入口の三輪鳥居 社号標
境内の様子
参道途中、嘉永4年生まれの出雲丹後丸尾タイプの狛犬
顔や体つきは全て出雲丹後ですが、尾の巻き上げ方が普通の物とは異なります。
狛犬の拡大写真はこちらで
(嘉永4年(1851)9月吉日建立)
拝殿
拝殿屋根の立派な千鳥破風・唐破風
拝殿屋根上の狛犬
拝殿向拝下彫刻
拝殿の木鼻・狛犬と象
本殿
境内社:天満宮 末社
境内社
樹齢約500年、御神木・大楠
神社の手前約200mに鎮座する御旅所