坂出八幡神社

坂出市八幡町2-3-35(平成21年3月29日)

東経133度50分39.02秒、北緯34度18分35.49秒に鎮座。

 この神社は坂出駅の西約1.5km、宇多津町との境近くに鎮座しています。駐車場のある北参道入口からは角山の姿が優雅に眺められ、社号標の建つ参道入口から境内までは140m近くあります。参道の様子を撮しながら境内にはいると、境内の遙か向こう、角山に相対する様に南側に大きな鳥居が建ち、社殿の正面や鳥居・狛犬などもそちらの方向を向いています。どうも表参道(もう今は旧参道なのでしょうか?)はあちらの様に見えます。そこでもう一度、表参道入口から参拝し直す事にしました。
 表参道入口は八幡池に面した土手の上にあり、境内へは石段を下って入るようになっています。神社入口には台輪鳥居が建ち、参道には狛犬や台座に狛犬のレリーフが彫られた燈籠が奉納されています。拝殿は大きく立派で、ご祈祷を受ける地域の方々が次々と訪れ、若い宮司さんは大忙しのご様子でした。檜皮葺の屋根を持つ、華麗で尚且つ重厚な本殿の周囲には、24体の狛犬全てのデザインが異なる玉垣が奉納されていました。こんな玉垣は見たことが無く、大層驚き、でも喜び勇んで写真に納めさせていただきました。
 境内も明るく、広々として大きく、境内社・末社も点在しています。又、さぬき十五社一つであります。

 御祭神:誉田別命、配祀:天照皇大神、大物主神
 例祭日:10月第三土・日曜日
 境内社:塩竃社、幸神社、地神社、狸霊社
 由緒:創建年代は不詳で、往古、男山八幡宮より分霊勧請され、角山の麓に鎮座していましたが、天正3年(1575)3月3日角山の麓より字中浜へ遷座されました。又、正平年間(1346〜69)細川頼之が細川清氏と高屋城で戦った時、頼之は神明の加護により大勝を得たので、凱旋の途次、角山の麓に祠を建て八幡神を祀ったのが始まりとも伝わります。
 寛文年間(1661〜1672) には社人・福家吉太夫と別当・摩尼珠院との間に紛争が生じ、双方共募り寺社方へ訴えたのですが、吉太夫は敗訴改易となり、社は寛文9年(1669)3月摩尼珠院の境内に遷座されましたが、毎夜別当氏子等に霊夢があり、人々は畏怖して同年12月現社地に遷座されました。
 元禄2年(1689)坂出政所・橋本金左衛門の斡旋により社殿を改築し、文政12年(1829)には高松藩主・松平頼恕が久米英左衛門に命じてこの地に大墾田を作ったことにより戸口が俄に増し、崇敬者が多くなりました。天保13年(1842)拝殿を改築し次いで安政4年(1857)本殿を改築しました。
 明治12年村社に列せられ、坂出一村の産土神となり、明治25年に境内を拡張、明治29年神輿庫新築、大正13年社務所改築、昭和5年参道を拡張し現在に至っています。

北参道入口
彼方に聳える円錐形の山は、石鎚大神が祀られる角山です。
社号標 参道の様子
参道途中にいる平成19年生まれの岡崎現代型狛犬
(平成19年(2007)早苗月吉日建立)
参道途中に建つ大きな明神鳥居
境内入口 社号標
境内の様子

 境内の遙か向こう、角山に相対する様に南側に大きな鳥居が建ち、社殿の正面や鳥居・狛犬などもそちらの方向を向いています。どうも表参道(もう今は旧参道なのでしょうか?)はあちらの様に見えます。そこでもう一度、表参道入口から参拝し直す事にしました。

表参道社頭
神社入口に建つ台輪鳥居
珍しく境内は入口より低い位置にあります。
境内入口の明神鳥居
参道・境内の様子
参道途中にいる文政9年生まれの狛犬
浪速系ですが、讃岐独特の風貌をしています。丁寧に彫られた良い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政9年(1826)秋吉日建立)
参道途中に奉納されている、台座に狛犬のレリーフが彫られた燈籠
狛犬はかなり風化が進んでいます。
燈籠台座の狛犬拡大写真はこちらで
社殿全景
拝殿
拝殿屋根の千鳥破風・唐破風
拝殿向拝下彫刻
鳳凰・波間の龍等
拝殿屋根上の覗き見をしているような格好の瓦材狛犬
拝殿の木鼻・狛犬と象
檜皮葺の屋根を持つ、華麗で尚且つ重厚な本殿
本殿の彫刻類
本殿を守護する玉垣の狛犬
本殿の周囲には玉垣が張り巡らされ、そこに狛犬のレリーフが彫られています。24体の狛犬全てのデザインが異なる、個性的な狛犬達です。
玉垣狛犬24体の拡大写真はこちらで
境内社:塩竃社
拝殿と「塩竃大明神」の額
塩竃社屋根上の飛び狛
塩竃社本殿
末社:地神社 末社:狸霊社
地神社を護る明治35年生まれの狛犬
丸々と太った本物の犬のような狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治35年(1902)5月吉祥日建立)
境内社:幸神社
神社南、表参道入口前に満々と水を湛えて、静かな水面を見せている八幡池
対岸には獲物の魚を狙って白鷺が姿を見せていました。