神谷(かんだに)神社

坂出市神谷町621(平成21年3月29日)

東経133度54分59.21秒、北緯34度19分18.44秒に鎮座。

 この神社は180号線に「国宝神谷神社」の看板が出ているので、この指示に従って進むと、神谷川沿いに鳥居・「國寶」碑があり、そこから川沿いに約300m程参道が続き、途中「延喜式内正一位神谷神社」社号標や御旅所、「残念切りの石」等が見られます。
 突き当たりの二の鳥居を潜ると、玉垣の奥に朱の綺麗な神門が建ち、回廊内に拝殿と奏幣殿、国宝に指定されている三間社流造の本殿が建立されています。檜皮葺の屋根を持つ素朴でシンプルな外観の社殿ですが、鎌倉時代初期の建築物としては、当初のまま現存する最古の社殿だそうです。
 その他、境内社、末社、七重石塔等があり、収蔵庫内には沢山の重要文化財や市指定文化財などが残されているようです。

 御祭神:火結命、奧津彦命、奧津姫命、配祀:春日四柱神(經津主神、武甕槌神、天兒屋命、姫大神)
 例祭日:10月10・11日
 境内社:地神社他
 由緒:神谷の渓谷にあった深い渕から自然に湧き出るような一人の僧が現われ渕の傍にあった大岩の上に祭壇を設け天津神を祀り国家安泰五穀豊穣を祈ったのが神谷神社の創始といわれている。
 其の後嵯峨天皇弘仁3年(812)空海の叔父にあたる阿刀大足が社殿を造営・再興し、春日四柱の神を相殿に勧請し、益々霊験著く阿野郡北一円の守護神として人々の崇敬が深く、又境内に流れる川の奥に深夜神々が奏する神楽の鈴の音がすると言うのでこの里を神谷と呼ばれたともいう。
 貞観7年(865)従五位上、貞観10年(868)正五位下に叙せられている。延喜5年(905)延喜式神名帳に「讃岐国阿野郡北 神谷神社」と載せられ、建保7年(1219)造営の本殿棟木には「正一位神谷大明神」の墨書銘がある。
 神社のある渓谷は古来より神谷と呼ばれ、神社奥に影向石(えいこうせき)と呼ばれる磐座(いわくら)が存在し、また、周辺から弥生式土器などが発見され、古くから人が住み祭祀を行っていたことが伺える。
 明治時代、近代社格制度により郷社に列せられた。昭和2年(1927)大晦日の夜に燈明の火が拝殿に引火した。拝殿は焼亡したが、住民が焼け落ちる拝殿を本殿の反対側に引き倒したため、本殿は難を逃れた。現在の拝殿は翌昭和3年(1928)より昭和5年(1930)にかけて再建されたものである。
(境内案内板、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

「神谷神社之図」「神谷神社所蔵文化財」はこちらで

道路に建つ一の鳥居
「國寶」碑 社号標「延喜式内
正一位神谷神社」
御旅所
御旅所のある広場傍に立つ注連柱
参道途中左にある「残念切りの石」
社頭
神社入口の二の鳥居 社号標
境内入口にいる元治元年生まれの狛犬
モデルは出雲丹後でしょうが、やや穏やかな顔つきで、阿は玉を持ち、吽は整った姿の子狛を連れています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(元治元年(1864)3月建立)
境内の様子
神門と回廊
拝殿と奏幣殿

国宝・本殿
境内社:地神社
末社 末社
末社 七重石塔
収蔵庫