宇賀神社

三豊市笠田笠岡684-1(平成21年3月30日)

東経133度42分50.06秒、北緯34度09分17.62秒に鎮座。

 この神社は国道11号線笠田小学校の東約400mに鎮座しています。大津池南に大きな御旅所があり、そこからは玉垣が巡らされた大きな社地に、鬱蒼とした木々が聳える豊かな鎮守の杜を持つ神社の深淵たる姿が、その悠久の歴史を感じさせながらしっかりと見えています。
 真っ直ぐに伸びた参道を進み境内にはいると、鳥居の脇に社号標・百度石などがあり、石段を数段上がった上に元録6年(1693)建立の随神門が建っています。境内正面には太い注連縄が架かる拝殿が建ち、その後ろには玉垣に囲まれて本殿が建立されています。その本殿後ろには由緒有りげな大きな磐座が置かれ、左右に境内社、石碑なども祀られています。
 又、境内には「宇賀神社どぶ酒の由緒碑」が建ち、この社が古式ゆかしい酒造りの伝統を伝えていることを記してあります。

 御祭神:宇賀魂神、笠縫神
 祭礼日:1月・新年祭、厄祓、2月・建国記念日、神酒醸造祭、3月・祈念大祭、百々手祭、軍人慰霊祭、神酒口開祭、6月・日待祭、7月・大祓祭、夏祭、9月・神酒醸造祭、10月・神酒口開祭、、例大祭、12月・新嘗大祭、天皇誕生日
 境内社:猿田彦神社、靖国神社、金比羅宮
 由緒:旧村社のこの社の創祀は明かではありませんが、古くは岡神社と称していました。竹田の忌部神社との関係が深く、讃岐忌部の祖・手置帆負命の子孫が此の地に永住したおり、その追随の神に笠縫神がいらっしゃいました。この神が笠岡に永住して朝廷に笠を献上したことによりこの地は笠岡と名付けられました。全讃誌に「宇賀大明神在笠岡村村社也 所祭倉稲魂地」とあります。
 国主・生駒氏は、社領三石を寄進し、又丸亀藩主・京極氏は藩札発行にあたり、この社の御祭神・倉稲魂神の御神徳を称えて藩札の裏に記載しました。この藩札は現在しています。
 御鎮座については、前述の通りですが、頭家の行事の符判によれば、宝永2年(1705)9月9日の振舞の儀に詳しく書かれてあります。
 現在の本殿は、元和3年8月(1615)本願主十鳥十助再建の棟札があります。
 明治33年6月大蔵省より献供濁酒の許可を得、春は百々手祭、秋は例祭に献供の醸造をし現在に至っています。毎年3月には伊勢神宮にも献納しています。

社頭
神社入口 社号標
境内社? 境内社:猿田彦神社
随神門前にいる建立年代不明の狛犬
阿吽が他人のように全く違う印象を受ける狛犬です。
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元録6年(1693)に建立された随神門
拝殿と拝殿に架かる太い注連縄
本殿
本殿縁にいる焼き物の神殿狛犬
鼻先がツンと上がった、大口面白顔の狛犬です。
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本殿後ろに置かれている大きな磐座
境内社:金比羅宮
金比羅宮を護る慶応3年生まれの素焼狛犬
吽のお腹の下には子狛が縋り付くようにピタッと張り付き、親は片手を上げてあやしているようにも、授乳しているようにも見えます。上向きでやや潰れ顔の面白い狛犬です。
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(慶応3年(1867)3月建立)
境内社:靖国神社 日清戦役碑
達磨さん? 歌碑
「ならはしの どぶろく醸し 宇賀まつり」

御旅所
社号標と境内の様子
御旅所を護る昭和14年生まれの広島玉乗り狛犬
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(昭和14年(1939)10月吉辰日建立)
御旅所
御旅所内の境内社 御旅所内に建つ建物