津嶋神社

三豊市三野町大見甲6816-2(平成21年3月30日)

東経133度42分27.46秒、北緯34度14分08.77秒に鎮座。

 この神社はJR予讃線・津島ノ宮駅前の松林の中に祈祷殿や参集殿、社務所などが建立され、「つしまばし」で繋がれた約250m程離れた三野津湾に浮かぶ島・津島(昔は鼠島とも呼ばれていました)に本社が鎮座しています。
 この社は、子供の疳の虫封じに御利益があるといわれ、このあたりでは子供たちを3年間続けてお参りさせる…という風習があるのだそうで、夏の大祭にはたいそうな賑わいを見せるようですが、この日は津島に建立されている本社へ通ずる「つしまばし」の入口も封鎖され、訪れる子供連れもなく、極静かな参拝が出来ました。

 主祭神:素戔鳴命
 例祭日:夏季大祭・8月4・5日
 由緒:宝永3年(1706)に富山安兵衛が社殿を造営したと伝えられ、牛馬の神と子供の守護神として信仰され、大正後期辺りより子供の守り神として親しまれています。
 昭和27年(1952)に「津島神社」から現社名の「津嶋神社」に改められました。
 平成4年、前年度の台風19号により社殿が致命的被害を蒙った為、本殿、塀殿、拝殿を修復しました。

 神社に伝わる昔話
 その昔、鼠島の沖に美しい声で歌う女がいましたが、ある時巫女に託していうのに「我は海中に住める神、名は津島神という。今よりこの島に鎮まるべし。」そこで村人達は相計り、津島神をこの島に祀ったということです。
 ある年、牛馬が多く病気にかかり死んでしまったことがありましたが、この村では一頭も病気にかからなかったので、江戸時代は牛馬の神様として信仰を集めていました。
 大正時代の中頃から流行病から子どもを守るために多くの人が参拝するようになり、今では子どもの守り神として、夏季大祭期間中には近郊近在から沢山の崇敬者が集います。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、三豊市役所建設経済部 商工観光課HP参照)

社頭
境内の明神鳥居 鳥居に架かる額
境内入口にいる建立年代不明の讃岐型狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
祈祷殿
祈祷殿内の様子
津島に建立されている本社へ通ずる「つしまばし」入口
津島と対岸を結ぶ「つしまばし」は約250m程の長さですが、夏季大祭の期間中(毎年8月4・5日の二日間)の前後以外は通行禁止で、入り口が封鎖され、橋桁に敷き詰められる板も外されています。この橋は昭和8年に当時の大見村長・倉田彌治郎が発起人となり架橋されたものです。
「つしまばし」と三野津湾に浮かぶ島「津島」
津島全景
津島に建立された本社への参道入口に建つ二の鳥居と石段の参道
千鳥破風・唐破風の付いた豪華な本社社殿
対岸の境内右側にある御旅所
境内に掲げられた祭礼時の様子 JR予讃線・津島ノ宮駅(臨時駅)
この駅は大正4年に設置された、津嶋神社の夏の大祭に合わせて1年に2日間(8月4日のほぼ終日と8月5日の8時ごろ〜15時30分ごろ)しか営業しない臨時駅です。多分、日本で一番営業日数が少ない駅なのではないでしょうか?