田潮八幡宮

丸亀市土器町東5(平成21年3月29日)

東経133度49分11.24秒、北緯34度17分31.65秒に鎮座。

 この神社は青ノ山西麓に鎮座しています。山懐にあるので大変景色が良く、境内や社殿もとても綺麗に手入れされています。
 社号標の建つ参道入口の台輪鳥居を潜ると左側に境内社が祀られ、神門内には古そうな随神さんがいらっしゃいます。参道には沢山の寄付者名が書かれた碑が建ち並び、この社への並々ならぬ崇敬が感じられます。石段の参道途中にも境内社が二社祀られ、境内は豊かな森の中にあるように見えます。境内に入ると、参道から見える通りに周囲は木々で囲まれ、拝殿は豪華な唐破風付きの屋根で葺かれ、目貫の上では力士達が向拝を支えています。拝殿内には彩色豊かな神殿狛犬がおりこの社では合計4対の狛犬を見かけ、とても感激でした。本殿は檜皮葺きの屋根で情緒があり、境内社も多数祀られています。

 御祭神:誉田別命
 例祭日:10月の第三土・日曜日
 境内社:天満宮、はぎ之森神社、粟嶋神社、荒神社、和霊神社、山之神社、金刀比羅宮・大川神社遥拝所
 由緒:この社は、往古より鵜足郡津郷の産土神として応神天皇を祭り 青野山西麓に鎮座 土器八幡宮と崇められてきました。
 南北朝時代、貞治元年(1362)7月 細川頼之が将軍足利義詮の命により、細川清氏を松山郷高屋の城に攻めたとき、出陣に際し当八幡宮に戦勝を祈願しました。清氏の西長尾・中院源少将雅平に対しては 陽動作戦を以て戦い、清氏を高屋の西林田の地に討ち取ったことは、太平記に詳述があります。
 全讃史には、はじめ源少将が攻めてきたとき、頼之はしばらく当社付近へ退却しましたが、社前の水田地帯一面に潮が満ち、敵軍を防いだので 田潮八幡宮と称したと伝えています。
 また、讃岐国名所図絵によれば頼之は宇多津の館に凱旋ののち、社領を寄進し、祝勝の松を手植えしましたが、栄えて数十歩の笠松となり、「掛引の松」「陰陽和合の松」と呼ばれて世に親しまれたといいます。 境内には今も頼之の松の石碑があり 往時を偲ばせています。
 10月の第三土・日曜日に行われる例大祭では、白装束の男衆に担がれた神輿が大暴れしながら水中を渡る「水浴び神輿」が呼び物となっています。田潮神社の社名の由来となった、細川頼之と中院源少将雅平との戦いの時に海の潮が満ちて田野を没し、敵の追撃を阻んだ故事にあやかっての神事のようです。

「田潮八幡宮の由来」はこちらで

神社遠景
後ろに聳える山は「青ノ山」です。
社頭
参道入口にいる建立年代不明の狛犬
阿は玉を持ち、天を仰いで大笑い、吽は慈愛に満ちた目で玉乗りをして遊んでいる子狛を見守っています。
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参道入口の台輪鳥居 社号標
参道途中、左側に祀られる境内社
随神門
随神さん
参道の様子
手水舎 境内社:山之神社
境内社:粟嶋神社
参道は未だ続きます
参道途中にいる建立年代不明の狛犬
浪速ですが、やけに厳つい顔つきをしています。
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境内社:和霊神社
境内入口
境内にいる文政13年生まれの狛犬
浪速狛犬で、身体中に苔を付け、貫禄充分な容姿をしています。
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(文政13年(1830)12月吉辰建立)
豪華な唐破風を付けた拝殿
唐破風上にいる剽軽な龍
拝殿屋根上にいる狛犬と虎
それぞれ二匹ずつがじゃれ合うような格好で遊んでいます。こういう構図は始めてみました。
目貫で向拝を支える力士達
拝殿木鼻・龍
拝殿内の様子
拝殿内にいる、漆喰で作られた彩色豊かな神殿狛犬
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檜皮葺きの本殿
本殿正面 一体だけの本殿木鼻・狛犬
境内社:荒神社 境内社:金刀比羅宮・大川神社遥拝所
境内社 境内社:天満宮入口
天満宮拝殿 天満宮本殿
境内社:はぎ之森神社 神馬舎