岡田神社

丸亀市綾歌町岡田西1080 (平成27年10月25日)

東経133度51分03.55秒、北緯34度13分13.61秒に鎮座。

この神社は、琴電琴平線・岡田駅の西北西1.4km程の辺り、民家が点在する農村風景の中に鎮座しております。

御祭神 天津彦穂瓊々杵命・経津主命・萬幡姫命・武甕槌命・天兒屋根命・大物主命

由緒
日本書紀の景行天皇記に、「日本武尊の御子武卵王讃岐綾君の始祖なり」とある。社殿に武卵王は賛留霊王として讃岐国を治め、当地の鎮護神として当社を創祀したと伝えている。
古代岡田は、井上郷に属したことから井上の岡の大社とか、井上の大宮明神・岡田大宮とも称された。
岡田西には、岡田万塚と呼ばれる古墳群が形成されており、古代有力な氏族が存在した。
このような文化を背景として、平安時代にはこの地には岡田大宮と共に巨刹岡田寺mお建立されていた。
南北朝時代の貞治年間(1362〜1367)、西長尾城落城の際、岡田寺と共に荘厳な当社も焼失した。
乱後、軍功によって入城した長尾大隅守は岡田大宮を再興し、その任に当たった子息岡田因幡守は当地に住み善政を敷いた。しかし乍ら、豊臣秀吉により長尾一族は滅亡、秀吉亡き後、入封した高松藩主松平頼重公は、当社を厚く信奉し、その祭儀の厳修に力を注いだ。
明治初年(1868)、岡田神社と改称、村社に列せられ、明治40年(1907)、神饌幣帛料供進神社に指定され、大正2年(1913)、西山神社を合祀して今日に至っている。
境内由緒書き より。

参道入口

参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(文久元年(1861)辛酉9月建立)
社号標と参道

鳥居

注連柱

祭りで盛り上がる境内

拝殿

拝殿内部

本殿


祭り