宇夫階(うぶしな)神社

綾歌郡宇多津町1644(平成21年3月29日)

東経133度49分27.06秒、北緯34度18分16.86秒に鎮座。

 この神社は宇多津駅の東北東約750mに鎮座しています。
 旧県社という格式と歴史のある社ですが、小丘上にある神社は巨木の茂る鎮守の杜が豊かで、境内も良く整備され、本殿は伊勢神宮の外宮第一別宮・多賀宮の旧正殿を領賜して復元された建物で、2005年に国の登録有形文化財の指定を受けています。
 その社殿奥には古代から信仰の対象として崇められている巨石(いわさか)や御膳石があり、この社の古代祭祀の源泉をなすものとして、現在まで毎年10月に初白祭という神事が連綿と執り行われています。又、塩竃神社、金刀比羅宮 、石鎚神社等多数の境内社が所狭しと点在しています。

 御祭神:大己貴命、配祀:豊受大御神
 祭礼日:例大祭・10月21・22・23日、祈年祭・3月上旬、新嘗祭・12月上旬、 特殊神事:早祓祭・7月朔、初白祭・10月10日
 境内社:塩竃神社、金刀比羅宮、石鎚神社、忠魂社、浦玉神社、地神社、春日神社、粟嶋神社、南之宮、大之山神社、山王神社、貴船神社、北之宮神社、船玉神社、大天宮社、和霊神社 、宇里神社、多倶里社
 由緒: 社伝によると、古くは津之郷に御鎮座になり、宇夫志奈大神と称していました。第12代・景行天皇の皇子・日本武尊の御子で、 綾君の祖先である武殻王が阿野群に封ぜられて下向され、部内の海岸を御巡視の折、にわかに暴風にあい御船が危うくなられた時、王が宇夫志奈大神に祈念なさると、どこからともなく一羽の烏が御船の前にあらわれたので、水夫に命じて、烏の飛び行く方向に船をこがせられた所、泊浦(今の本島)について無事危難を逃れることが出来ました。そこで王は一層大神を仰がれ、小烏大神と称えられました。
 第49代・光仁天皇の宝亀10年(779)に社殿が再興されています。又、末包家記によると第51代・平城天皇の大同元年(806)10月、津之郷の長者末包和直に「汝わが祭祀を司りて国の守護神と仰ぐべし」との託宣があり、和直は神主となり祭祀を行いました。翌2年(807)8月に現社地に社殿を造営しました。
 後、永禄11年(1568)地震により社殿が損壊しましたが、生駒氏が再興しています。別当寺は文和年中(1352〜56)僧宥賢の開創と伝えられる東端山蓮花院神宮寺でしたが、明治2年(1769)廃仏毀釈で廃寺となり、什宝類は聖通寺に移されました。同27年には県社に列しています。
 昭和47年7月30日夜、木造檜皮葺檜造りの拝殿屋根より出火し、拝殿・幣殿・本殿の三棟が全焼しました。社殿復興の際に、伊勢神宮の外宮第一別宮・多賀宮の旧正殿を領賜、復元され、このとき豊受皇大神が合祀されました。
(「宇夫階神社誌」より)

社頭
社号標 「豊受大御神奉斎社」碑
入口の鳥居後ろにいる文化13年生まれの狛犬
実に堂々とした狛犬ですが、残念な事に体表の剥落が目立ち、阿は顔面左が欠けています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化13年(1816)5月吉日建立)
参道入口の二の鳥居
三の鳥居 三の鳥居に架かる額
三の鳥居後ろにいる昭和3年生まれの狛犬
御大典記念に奉納された物ですが、逞しく、俵を積み上げた様な尾が面白い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)11月10日建立)
手水舎 境内入口への石段参道
実に大きく立派な拝殿でした
拝殿内の様子
拝殿奥に鎮座坐す太めでやや剽軽な神殿狛犬

本殿
昭和47年7月30日夜、木造檜皮葺檜造りの拝殿屋根より出火し、拝殿・幣殿・本殿の三棟が全焼しました。社殿復興の際に、伊勢神宮の外宮第一別宮・多賀宮の旧正殿を領賜、復元されました。20年を超えて残っているのは全国で唯一という事で、2005年に国の登録有形文化財の指定を受けました。

 

巨石(いわさか)
この巨石は古代祭祀の遺跡で神座とよばれ、古代より信仰の対象でした。
御膳石
神饌を置き献った巨岩です。

境内社はこちらで