川上神社

綾歌郡綾川町枌所東1181-1(平成21年3月31日)

東経133度59分38.54秒、北緯34度11分52.23秒に鎮座。

 この神社は県道39号線の田万川に架かる宮地橋の北詰に鎮座しています。入口には真新しい台輪鳥居が建ち、社地右手に建つ灯篭の横に香川の保存木・ハリギリが聳えています。参道には讃岐型の中でも一番おデブな狛犬がいて笑わせてくれます。参道途中には二の鳥居が建ち、石垣が組まれた上には拝殿・本殿の社殿が建っています。

 御祭神:水速売命
 例祭日:10月19日
 由緒:創建年代は不明ですが、往古より玉川の川上に鎮座し河上大明神と称せられ、綾の日向王・常郡が大領となって以降その末裔が代々崇敬してきました。
 天平年間(729?749)、僧行基は社殿を改修し、巫子を置いて祭祀させました。又、讃岐藤氏の崇敬が厚く、常時は社僧松熊寺奉祀の三十五社中の大社として祭祀も厳重に行われました。細川氏末期には松熊寺と共に荒廃して旧記等も失われてしまいましたが、元和年間(1615?1623)政所岡安成がこの社と松熊寺を再建しました。又、寛永20年(1643)夏には大干魃があり、民衆がこの社に祈って霊験を得たので、翌21年安成の孫・政所岡四郎右衛門と藤左衛門等が社殿を改築しました。その後、萬治3年(1660)には再び岡四郎右衛門と藤左衛門宝殿を建立しました。寛文2年(1662) から8年(1668)にかけて天災が頻繁にありましたが、その都度氏子達は霊験を蒙り、殊に寛文8年の大干魃には慈雨が降り、百万石の名が残っています。翌9年9月社殿を改築し、以来社僧を廃して神主が祭祀を司ってきました。
 明治5年には郷社に列しています。
(神社名鑑、県神社誌より)

社頭
入口の台輪鳥居 鳥居に架かる額
参道にいる明治8年生まれの讃岐型狛犬
讃岐型の中でも一番おデブな狛犬です。頭部が大きく首というものがありません、二頭身半というところでしょうか。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治8年(1875)9月吉辰建立)
参道途中の二の鳥居
境内の様子
拝殿
本殿
末社
香川の保存木・ハリギリ(針桐)
樹高・19.5m、胸高幹周・2.7m、枝張り・13.3m
ウコギ科の落葉高木。山地に自生。枝にとげがあり、葉は手のひら状に裂けていてキリに似る。7月ごろ、黄緑色の小花が球状に集まったものが傘状につき、藍色の丸い実を結ぶ。材をげた・家具などに使用。(大辞泉より)