瀧宮(たきのみや)神社

綾歌郡綾川町 (平成27年10月24日)

東経133度55分18.29秒、北緯34度14分46.97秒に鎮座。

この神社は、琴電琴平線・滝宮駅の北西400m程の辺り、綾川の東側すぐに鎮座しております。

御祭神 建速須佐男之命・櫛稲田姫命・八将之王子

由緒
和銅2年(709)行基菩薩当国へ奉勅下向の時、阿野の川辺に岩窟の霊区のあることを感見し、一宇を造立し巖松山龍燈院と号した。
その後神託により「6月8日綾川の滝淵から応現し給ふ霊神を御維新迄旧号を瀧宮牛頭天王社と称し、往昔より五畿八道の一南海の惣鎮護と仰がれる」
当社は古くから滝宮の産土神として里人の崇敬が厚く、往古より牛馬の守護神として県内外から参拝し牛馬安全を祈願する人々が多い。
又「滝宮念仏踊」の起社としての姿もとどめていて、毎年8月25日に行われる滝宮念仏踊は国の重要無形文化財にも指定されている。滝宮天満宮と合せて滝宮両社と呼ぶ。
境内由緒書き より。

由緒
709年(和銅2年)、行基が創建したとされる。もともとは「牛頭天王の祠(ほこら)」と称されていた。また菅原道真が、讃岐の国に赴任した886年(仁和2年)から 890年(寛平2年)にかけては、讃岐の国一国の氏神とされた。その後に、細川頼之が康暦年間に滝宮神社と滝宮天満宮を再建補修し、さらに天正年間に兵火にあいその後慶長になって当時の国守生駒親正が祈祷料を寄付した。当地が高松藩となって後は初代藩主の松平頼重が1644年(寛永21年)に随神門を建設、1660年(万治3年)には本殿などを再建した。以降、高松藩主からの寄進が続く。 祭神の須佐之男命が医薬の神とされ、また牛馬の守護神として各地に知られており、神社瀧宮大社と称せられたこともあったが、1868年(明治元年)以降は、滝宮神社と改称した。
ウィキペディア より。

参道入口

参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(天明8年(1788)戊申正月吉祥日建立)

鳥居

神額

牛。かつて牛頭天王社だったせいか。

注連柱

拝殿

本殿


伊佐雄神社

八社之宮

由賀稲荷社

句碑「土ぼこり立てゝ雨乞踊かな」