石上神社

遠野市綾織町みさ崎蓬畑(平成17年7月30日)

この神社は釜石線・綾織駅の北約2.8km、石上山の南東麓、砂子沢川に沿った道路の右手に鎮座しています。奥宮は、石上山の山頂にあり、ここは里宮にあたります。御祭神は経津主命、伊邪那美命、稲蒼魂命 で、由緒によると文治年中(1185〜1189)阿曽沼広綱が閉伊郡入部の際に勧請したと伝えられ、南部氏の代になっても領主の信奉篤く、神刀(銘宝寿)一振りを奉納し、今に存す。南部藩政の頃は石神神社と書かれてあり、石神の信仰に基因すともいう。明治42年3月、熊野神社(砂子沢鎮座)、稲荷神社(石上神社附近鎮座)を合祀。奥宮は石上山頂に在り、里宮は石上新山宮としてみさ崎の地に鎮座せらる。石神神社の称はそれ以降なり、とあります。
この石上山の神様については『遠野物語・第二話』に『神の始』という面白いお話が伝わっていますので下記にてどうぞ。

遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。
四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰と云ふ、北の方附馬牛の奥に在り。東の方には六角牛山立てり。石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。
大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。
若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山に遊ばずと云へり。(『遠野物語・第二話、神の始』より)

境内まで2.5kmという
国道396号線にある一の鳥居

社号標

神社入り口の二の両部鳥居

富士山祈念碑

境内入り口

神楽殿

拝殿

本殿

(昭和27年7月10日建立)

この狛犬は昭和12年2月28日の関西四国遊覧を15年後に記念して建立したものです。その間大東亜戦争などがあり神様とのお約束も延期されていたのでしょう。