薬師神社

紫波郡紫波町南日詰箱清水189 (令和5年7月29日)

東経141度10分01.13秒、北緯39度31分53.47秒に鎮座。

この神社は、JR東北本線・日詰駅の南東500m程の辺り、箱清水の街中に鎮座しております。

御祭神 少彦名命

由緒
今から約八百年前、藤原三代の初代藤原清衡の四男清綱の子・太郎俊衡が、国家安穏・武運長久の祈願のために比爪館居城内の大荘厳寺の鎮守社として勧進したのが創紀とされる。
当神社は、平泉とゆかりのあるお社で、縁があり、平成14年には、平泉中尊寺から当神社に、「古代ハス」が初めて株分けされた。
文治5年(西暦1189年)奥州藤原氏の滅亡後も、鎌倉・室町を通じて、比爪館の故地である箱清水に所在し続け、藩政時代初頭(西暦1625年頃)、大荘厳寺が盛岡へ移転の際にも、土地神を祀る鎮守社(薬師堂)として故地に残されたものである。
藩政時代には、地区民は勿論、近郷近在から数多くの崇敬者が参拝されたと言われ、元和5年(西暦1619年)南部藩主、南部利直公より社領30石が寄進されたとも伝えられ、領主にも崇敬の念を持たれていた事を物語るものである。
明治初期の神仏分離令で、祭神に「少彦名命」を祀り「薬師神社」となり、明治4年には、大政官布告で南日詰・北日詰の鎮守社「村社」に据えられ、昭和58年には神社庁より三級社に据えらえた。
藩政時代まで拝観できたご本尊の薬師如来像は、明治以降は拝観できなくなっているが、八百年を経た今も変わることなく、広く地域と人々の安寧と長生を願いこの地い鎮座している。
境内由緒書き より。

神社入口

鳥居

境内

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和15年(1940)2月15日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋

本殿を護る生猫様


末社