荒神社

下閉伊郡山田町船越(平成17年7月27日)

山田線・岩手船越駅から船越半島を湾沿いにぐるっと回り込み約3km、突端の荒神海水浴場が神社の入り口です。この海岸は惚れ惚れするほど静かな紺碧の海と、美しい砂浜が広がっていました。目の前には弁天島、対岸には鯨山がそびえ、半島南側にはタブノキの北限自生地である大島が見渡せる、リアス式海岸特有の景勝地です。この景勝地を眼前に控えさせた、荒神社そのものの景観(といっては神社に失礼ですが・・・)が素晴らしく、奥行きのある、静かで緑豊かな参道を歩いていくと、自然と心が洗われていく思いがし、私の中では、今回の岩手県8日間・神社巡りの旅での一押しの神社となりました。ところが帰宅して、このHP作成の為神社の案内板を見たり、ウェブ情報を検索すると、創建や御祭神に矛盾があり、何かすっきりと纏めることが出来ません。私の思い入れが強く、いい加減な纏め方をしたくないという思いが強すぎての事なのかもしれませんが、とにかく藁にも縋る思いで山田町のホームページに投稿し、相談致しました。すると「山田町教育委員会」からその全てについてのご丁寧な、尚かつ明快な回答を戴き「あぁ、なるほど。」とやっと納得ができ、このページの作成に着手することが出来ました。「山田町教育委員会」様本当にありがとうございました。その内容については下記に転載させて頂きます。

(天明5年(1785)6月15日建立)

(昭和40年旧6月吉日建立)

祭 神:素戔鳴尊  閉伊頼基
旧社格:村社(旧船越村)
例 祭:旧6月15日
(「岩手県神社名鑑」より抜粋)

通称「荒神様」と呼ばれています。
祭神ですが,言い伝えによると「リクコタン」という名の、アイヌの漁の神といわれる神を祀り、その後綿津見神を合祀したとあります。神社年鑑には、由来がはっきりしなかったので記載しなかったと推察されます。
荒神社は今でも「海の神」として広く漁業関係者の信仰を集めています。
もう一つの祭神「閉伊頼基」は、鎮西八郎為朝の八男で、建久2年(1191)に閉伊押領使として当地方に下向したそうです。いわば「閉伊郡」の基となった方であり,各所にその末裔をなのる旧家があります。
死後宮古の華厳院(頼基が父の菩提を弔うため建立した)に葬られますが,洪水で御遺骸が流され,数日後に船越半島南端の小島で発見されました。地元小谷鳥で祀りましたが、宝治2年(1248)ご神託があって今の荒神社霊廟に祀り「田の浜大明神」と称しました。その後さらに正慶2年(1333)ご神託があり、「われその昔閉伊・気仙両郡の主であった。今両郡の堺に鎮座して東海の守護神になるであろうぞ。」ということから、釜石浦に新宮を建立しました。これが尾崎神社奥の院です。
以上、閉伊頼基が祭神となった由来は「荒神社由来記」から引用しました。
(以上「山田町教育委員会」より)

狛犬の拡大写真はこちらで

荒神海岸にある参道入り口の台輪鳥居

荒神海水浴場の様子

海から見た神社入り口

境内入り口と二の台輪鳥居

阿吽が反対の天明生まれの風格漂う立派な狛犬。阿吽ともに頭上に穴があり、灯明をともしたものと思われます。耳垂れであるのに威厳が感じられるのは、険しい眉毛と口髭のお陰でしょうか?姿勢の確かさのなせる技でしょうか?何れにしてもこの地方では珍しい型の狛犬です。

阿吽ともに頭上に穴があります。

古札殿

境内の様子と三の明神鳥居

四の台輪鳥居

末社・山神社

拝殿

本殿

拝殿前のしょうわ狛犬