鎭岡神社

奥州市江刺岩谷堂五位塚179 (平成26年8月23日)

東経141度11分48.78秒、北緯39度10分16.05秒に鎮座。

この神社は、東北新幹線・水沢江刺駅の北4km程の辺り、国道456号の東側に薄く広がる街並の中に鎮座しております。

御祭神 大己貴命

由緒
安永風土記によれば称徳天皇(764~)の御代に勧請されたとある。「延喜式」神名帳に記載されている延喜式内社であり、律令国家当時は、神階を授かり、祈年祭には国幣を預かる官社であった。
鎭岡の社名は、「天神地祇八百万神遥拝所岩清水八幡宮公文所」と表記し版行された軸物、奥の細道随行した河合曽良「旅日記」の行脚予定路の中などに散見する。
とりわけ、前九年・後三年の役の後、亘理権太夫経清と安倍頼時の娘との間に生まれた藤原清衡公は、神仏信仰厚く、豊田城を構えた際、当神社の社殿を修築、天下太平・武運長久祈願のしるしとして荘園献納、宝庫を建立、武具一式を奉納したと伝えられる。
菅江眞澄(三河国・国学者)が天明五年(1784)から3年間岩手を旅行した。その記録である日記「けふのせはのの」「岩手の山」に当社の記述がある。
廃藩置県で江刺県を置いた際、郷社に列せられたが、後、一郷一郷の制により、明治六年村社となり、昭和二十年再度郷社に列せられる。

延喜式内社 江刺郡一座(神典・延喜式巻第九) 陸奥国一百座(内岩手14座) 境内に菅江眞澄の歌碑(岩手県内四)菅江眞澄標柱(県内一)がある 岩手県神道青年会公式サイト より。

境内由緒書きはこちら。

参道入口と一の鳥居

神額

二の鳥居

参道

三の鳥居

境内

拝殿

拝殿内部

本殿


不動堂

石碑