愛宕神社

奥州市江刺愛宕西下川原197 (平成26年8月23日)

東経141度09分28.96秒、北緯39度10分21.89秒に鎮座。

この神社は、東北新幹線・水沢江刺駅の北東5km程の辺り、西下川原の街中に鎮座しております。

御祭神 軻遇突智命(本地仏 愛宕権現)

由緒
由緒、創建は不詳であり、伝承によると、和賀氏の二子城(北上市在)落城(天正18年(1590)、秀吉奥州仕置)の際、和賀氏の臣青木茂右衛門が神霊を奉持し、この地に帰農し祠を祀ったと伝えられる。
その後、仙台藩河原御本穀所が万治2年(1659)既に開所され、年貢米上納の百姓並びに、駄送人夫、舟積人夫等、人の往来と、民家の急増等で、火防の神、愛宕神社信仰が広がり、延宝9年(1681)下川原住石川惣左右衛門を本願主として再興されて来ている。
下川原町場に元禄2年(1689)下川原町割が施行され町屋敷57軒が置かれ、多くは御蔵場関係者、舟運関係者等百余軒の軒が連ね、産土神愛宕神社(愛宕大権現)の参詣者で栄え、正徳4年(1714)三間四面高床の社殿が新築され、現在の社殿として維持、保存され現在に至る。・・・・
境内由緒書き より。

古来より茂右衛門家が別当となり、延宝元年(1673)社殿新築。伊達領の本穀蔵があり、御蔵米川下げの艜主ら関係者が多く住んでいたが、元禄期に町割が施行され、凡そ現境内地が定まる。正徳4年(1714)現社殿を造営。同年6月、仙台・結城重利 鵺(ヌエ)退治の額奉納。
岩手県神道青年会公式サイト より。

艜、平田舟(ひらたぶね)とは、和船の一種であり、内水面を航行する船の一種。高瀬舟より大きく五大力船より小さい。艜船・平田船・平駄船・比良太舟等とも書かれる。
Weblio辞書 より

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

社殿

神仏分離は徹底されなかったようです。

社殿内部


天照皇大神碑