達谷窟毘沙門堂

西磐井郡平泉町平泉北沢16 (令和5年7月25日)

東経141度03分45.71秒、北緯38度57分57.61秒に鎮座。

この寺院は、平泉町役場の西南西5km程の辺り、平泉北沢の薄い街中に鎮座しております。

御本尊 毘沙門天

由緒
達谷窟(たっこくのいわや)は、岩手県西磐井郡平泉町に所在する毘沙門天をまつった堂。国の史跡。
延暦20年(801年)、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた悪路王を討伐した記念として建てた。正式には、達谷窟毘沙門堂。
平泉の南西約6キロメートルに位置する。北上川の支流太田川を西にさかのぼると、谷を分岐する丘陵尾根があり、その先端部に現在の天台宗達谷西光寺がある。達谷西光寺境内の西側には、東西の長さ約150メートル、最大標高差およそ35メートルにおよぶ岸壁があり、その下方の岩屋に懸造の窟毘沙門堂がある。さらにその西側の岸壁上部には大日如来あるいは阿弥陀如来といわれる大きな磨崖仏が刻まれている。
達谷西光寺の境内は神域とされ、喫煙や飲食、ペット等動物を連れての参拝が禁じられている。別当は達谷西光寺であるが、境内入口には鳥居が建てられており、神仏混淆の社寺となっている。
源頼朝も鎌倉への帰路に参拝している
ウィキペディアより。

境内由緒書きはこちら。

別當達谷西光寺公式サイトはこちら。

一の鳥居

二の鳥居

境内入口

毘沙門堂

毘沙門堂入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

毘沙門堂


蝦蟆ヶ池辯天堂

金堂

岩面大佛