八幡宮

二戸郡一戸町小井田 (平成27年8月19日)

東経141度17分54.77秒、北緯40度13分30.80秒に鎮座。

この神社は、八戸自動車道・一戸ICの南南西500m程の辺り、小井田の街外れに鎮座しております。

御祭神 譽田別命

由緒
小井田千本桂のところより、楢山部落に向かって100m位行った小高い所に社殿がある。
往古、源義家が山城国の男山八幡宮の神霊をここに遷して祀ったと言い伝えられている。また天台宗法輪院末山で、別当円蔵がおり、南部公の尊崇が厚く、社領十石を賜った。
八幡宮は南部利直公が盛岡に移転の際に神社を改称したといわれている。
慶長元年(1596)、元和4年(1618)、元禄2年(1689)、享保5年(1720)、明和2年(1765)の再興修造の棟札が5枚現存している。
岩手県神道青年会公式サイト より。

小枝八幡宮の板碑
奥州街道に沿って立つ「小井田の千本桂(一戸町指定天然記念物)」から東に100メートルほど進んだ丘の上に「小枝八幡宮」はあります。「小枝八幡宮」は「越田八幡宮」とも記され、源義家が男山八幡を勧請して建てさせたのが始まりと伝えられています。大巻秀詮著『邦内郷村志』に、次のような逸話が載せられています。
「村の古老の言い伝えでは、南部利直(南部家27代)が浪打峠を越えて越田の橋に差しかかったとき急に馬が進まなくなった。橋の下を調べさせたところ、裏に梵字を刻んだ奇妙な石が見つかった。(中略)石は地震のため二つに割れてしまい、今は八幡宮境内に安置されている。」
現在、「小枝八幡宮」社殿手前に置かれている板碑は逸話のとおり中央部で二つに割れてしまっていますが、元々は高さ150センチメートル、幅90センチメートルという堂々たる碑でした。正面に阿弥陀如来を表す梵字「キリーク」が刻まれ、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての時期に、死者の供養のために造立されたと考えられています。
一戸町教育委員会

参道入口

参道

参道脇の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和6年(1931)9月15日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿