盛岡市新庄町(平成17年7月24日)
この神社は盛岡駅の東約2kmの天満宮の丘に鎮座しています。
ここは啄木お気に入りの散策と読書の場所で、啄木の中学時代は天神山と呼ばれていました。現在、境内には啄木の碑をはじめ多くの文人の碑があり、石割桜ならぬ石割梅、菅公の飛び梅などが見られ、啄木の「葬列」という小説に登場する高畑源次郎作の狛犬は、啄木曰く「俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるのか東にあるか知らないのだ、と云つた様な顔だ。」という素朴で味わいのある狛犬でした。
由緒によると、創建は不詳ですが盛岡築城の当初、四ツ家と寺町の間にもう社があったという事からも南部氏が三戸当時から祀っていたものと思われます。その後いくたびか遷座し延宝7年(1679)現在地に祀られました。
明治初年の廃仏毀釈、神仏分離令などにより一時荒廃しましたが、個人有志や盛岡菅公会等の提携協力により現在まで維持されてきたという事です。
神社入り口の階段 |
境内入り口 |
芭蕉塚の碑は蛙が支えています |
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もう一段高い境内 |
神楽殿 |
高畑源次郎が、病気平癒祈願が叶えられたお礼に、自ら彫った狛犬。 |
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(高畑源次郎作 明治36年6月建立)
夏木立中の社の石馬も汗する日なり君をゆめみむ」
「松の風夜昼ひびきぬ人訪はぬ山の祠の石馬の耳に」
と石川啄木が詠んだ狛犬。
境内社・平安稲荷社
狐としてはふくよかな体躯で玉取、子取りですが、惜しいことに阿の顔がほとんど欠けています。 |
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拝殿 | 本殿 |
飛び梅 |
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境内社・鹿島明神社と左は要石 | |
銭湧石と石割梅 |
銭湧石 |
【狛犬情報から】
地元民のkubota@盛岡様よりメールを戴きました。(平成18年8月19日)
狛犬情報をどうぞということなので、既にご存知かもしれませんが、その盛岡天満宮の狛犬が南部鉄器のミニチュアになったというニュースが地元でありましたのでご連絡いたします。
これが狛犬の世界のコミュニティではどの位の価値のある品かはわかりませんが、ぜひお仲間の方に広めていただいて、一組でも沢山売れ、折角作ったものが売れ残ることのないように地元民として応援したいと思っています。(笑)
以下がお送り戴いた情報です。
南部鉄器になってもやっぱり素朴な狛犬です。