八幡神社

盛岡市下太田林崎29 (平成26年8月20日)

東経141度07分00.30秒、北緯39度41分05.58秒に鎮座。

この神社は、盛岡駅の南西3km程の辺り、盛岡市街地の外れ、田園風景との境付近に鎮座しております。

御祭神 誉田別命

由緒
当社八幡社は旧飯岡通り下太田村林崎に鎮座し、この地は方八丁の古戦場跡でもあり、天喜5年(1057)源頼義・義家父子が安倍頼時を誅し康平5年(1062)8月16日卯刻(午前6時)安倍貞任と厨川の柵にて交戦し翌日17日巳刻(午前10時)村落に入りて屋舎を壊し運び隍に鎮め、又萱草を刈り之を川岸に積みなして山の如し将軍馬を下り皇城を拝し、今天威惟に新たに太風となりて、老臣の忠を助け受るべく、伏して八幡三所に乞いければ、風出でて火を吹き彼の柵を焼き勝利する。
義家その兜に蔵する八幡宮をこの地に祭祀し兵士を鼓舞した地である。
境内由緒書き より。

由緒
この地は方八丁の古戦場であった。天喜5年(1057)源義家が奥州追討の命を得、この時、安倍貞任が厨川の柵におり、義家この地に退陣し、その兜に蔵する八幡宮を祭祀し士気を鼓舞せし古戦場であった。
宝暦5年(1755)、宝暦14年(1764)、安永5年(1776)、寛政3年(1791)、弘化4年(1847)、安政2年(1855)の棟札が現存する。
岩手県神道青年会公式サイト より。

神社入口

境内

拝殿

本殿


八幡宮 宇氣母知能神b

神楽殿

御神木