政實神社

九戸郡九戸村長興寺1-10 (平成27年8月19日)

東経141度24分31.96秒、北緯40度13分11.34秒に鎮座。

この神社は、九戸神社の境内末社となっております。

御祭神 九戸政実公

由緒
九戸村の生んだ中世の英雄九戸左近将監源政実公の時から400年も経た今もなお人々は、公の遺徳を偲び慕う心は強く甦ってきます。
天正19年(1591)秋世にいう九戸の乱において、天下人豊臣秀吉麾下6万5千と云われる大軍を相手に、僅か5千の軍兵克く互角に対抗して一歩も引かぬ戦いを展開して、遠征の諸将をして「九戸勢侮り難し」とその武勇を嘆賞せしめて、その名を永く史上に残しています。
時に成敗利鈍を問う諸説の伝えあれども、公を評して「人となり沈勇にして喜怒色に顯れず」とその沈着豪胆を述べ又外には責極武を以って臨み、内は万端事を得て温情を以ってし、同盟の士を敬愛庇護し配下皆心服して団結す」と記しています。又「夙に郷土を愛し産業を興し民生を安定してその勢力を伸張し累代の地を守護せんとするまさに土着の領主なり」と勝れた戦国武将たるのみならず、内に秘める優しさとその施政のありようを誉め称えておることは公の本当の人間像を伝へているものと確信し、私たちに郷土の誇りと大きな安らぎを与ええくれます。
平成6年(1994)8月11日不図も政実公の御意を拝して、村内有志ら相い議りて神社創建を計画し、神霊の降臨を請い報恩感謝の誠をささげ以って村民福祉の向上と郷土の興隆発展に御加護を乞い仰ぐべく発願し、村民大方のご奉賛を得て、故地を卜して新祠を建立した次第であります。今や地方復権のとき崇敬の諸氏それよくご参詣ありたし。
境内由緒書き より。

鳥居

社殿