諏訪神社

北上市諏訪町1-3-9(平成22年8月21日)

東経141度7分21.82秒、北緯39度16分59.75秒に鎮座。

 この神社は北上駅の北西約500m、市街地の中心部に鎮座しています。
 町中の神社らしく綺麗に整備されていますが、まだまだ鎮守の杜が残された、気持ちの良い参拝ができる神社でした。
 入口には社号標が立ち、両脇を狛犬が護る石段を上がると、朱の両部鳥居が建立されています。参道をまっすぐに進むと大きく清々しい神門が建ち、境内へ入ると左に聳える樹齢約500年のご神木・サワラに目を惹かれます。注連縄が掛けられ、根本に弊が置かれた姿には畏敬の念を覚えました。
 正面に建立された拝殿は千鳥破風が付いた豪華な屋根を持つ社殿ですが、改築の際に旧社殿の目抜き彫刻や木鼻を残したのでしょう、色合いの異なる彫刻が使われていましたが、こういう考え方にもとても好感が持てました。透かし塀内の本殿は流造りの大きく優雅な社殿でした。
 境内右側には境内社が数社祀られていますが、ここにもきちんと社名や御祭神名の案内があり、とても分かりやすく親しみの持てる神社だと思いました。

 御祭神:建御名方命、天照皇大神、大山津見命、品蛇和気命、菅原神、保食神
 祭礼日:9月7日・8日・9日
 境内社:秋葉神社・八坂神社・金比羅神社・稲荷神社・金勢社
 由緒:諏訪神社は云い伝えによれば、大同2年(807)皇紀第五十代桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂将軍が東夷征定の時、当地方の開発と産業の発展を祈願し、信濃の国諏訪大社建御名方命の御分霊を初め五柱の神様を勧請し建立されたと云われております。
 その後、慈覚大師が諸堂を建立し、御世第七十代後冷泉天皇の勅命を蒙り、源頼義、安部頼時を征定の際祈願をいたし、報賽によって社殿を修築されました。
 諏訪神社はもと、元宮の地(市内幸町地内)に鎮座しておりましたが、南部家二十九代藩主重信公崇敬篤く享保19年(1734)に現在地に社領を賜りました。神仏混淆の時代は諏訪山護国寺と云い、一寺一社の社格でした。又、諏訪神社は、諏訪宮・お諏訪さんと称えられて各町村民の信仰が篤く、御神徳が益々昂揚されました。
 この地方に長く伝えられたという川岸剣舞(廃絶)は諏訪大明神のお告げによって、前九年の役で滅んだ黒沢尻五郎正任の亡霊を鎮める為に舞ったのが始まりといわれ、諏訪神社の神事芸能でありました。
 明治維新後は、社名を諏訪神社と称され北上市・和賀郡一円の総鎮守・氏神様として郷社に列し、歴代尊崇変わる事なく、神威益々厳然として現在に至っております。
 旧社格 郷社
 平成19年御鎮座千二百年を迎え、奉祝記念大祭を厳粛に壮大に執り行われました。記念事業の一端として、社殿・社務所・参集殿増改築工事をし、神威あらたに北上市・和賀郡の総鎮守氏神として尊崇変わることなく崇拝を賜っております。 
 境内末社には、秋葉神社・八坂神社・金比羅神社・稲荷神社・金勢社があり、7月14日の八坂神社の宵宮祭は「きゅうり天王さん」と氏子崇敬者に親しまれ、きゅうりを奉納して無病息災・身体健護の神霊の強いみ光を仰ぎ一層のご神徳をいただいております。
(「岩手県の神社」より)

社頭
社号標 神社入り口
入り口にいる昭和17年生まれの狛犬
(昭和17年(1942)9月7日建立)
両部鳥居
参道の様子
神門
境内の様子
拝殿
拝殿目抜き彫刻・翼龍
拝殿木鼻・狛犬と象
本殿
境内社:稲荷神社
稲荷神社奥宮?
境内社:金勢社 境内社:金比羅神社、八坂神社
境内社:秋葉神社 祭祀場?
山神、扇塚 出羽三山、庚申塔
金比羅大権現 馬頭観世音他
不動明王と芭蕉句碑
市の保存樹 ご神木・サワラ
樹齢:約500年