山祇神社

岩手郡雫石町西根上篠崎 (平成27年8月18日)

東経140度56分56.95秒、北緯39度46分21.52秒に鎮座。

この神社は、雫石スキー場の東1.5km程の辺り、西根上篠崎の街外れ、山際に鎮座しております。

御祭神 大山祇命

由緒
桓武天皇延暦二十年(801)坂上田村麻呂東征の折、北上して逃れた大丈丸は、最後の砦として霧山嶽にこもり抗戦する。田村麻呂は武蔵国篠崎村より八郎というマタギを道案内として連れて来たが、八郎の居所を篠崎と名付け屯所とした。田村麻呂の女婿田村兼光を討手の大将とし、篠崎の八郎が先達となって遂に大丈丸を討伐した。
奥州平定後篠崎の八郎が霧山嶽周辺の山守を命ぜられ、篠崎屯所跡に山の神を勧請し、現在に至っている。
岩手県神道青年会公式サイト より。

由緒
人皇50代桓武天皇の御宇延暦20年(801)坂上田村麻呂蝦夷征伐の為奥州に向われた。多賀城、水沢城、胆沢城、花巻と北征し平定した。大丈丸が最後の砦として霧山嶽鬼ヶ城にたてこもり抗戦する(大丈丸実名安部津川丸であった)。坂上田村麻呂将軍は武蔵野国篠崎村より八郎と云うマタギを道案内人として連れて来た。先ず露山嶽を攻めるに八丁野に本陣を置き、八郎の居た所を篠崎と名づけ庵所とした。
田村麿の女婿 田村兼先を討手の大将とし、篠崎八郎が先達となり大丈丸等を討伐した。奥州平定後篠崎の八郎が山守を命ぜられ篠崎の屯所に山祇の神を勧請し山祇神社として現在に至る。・・・・
境内由緒書き より。

参道入口

一の鳥居

神橋と二の鳥居

四の鳥居

境内

鞘堂

鞘堂前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和8年(1933)4月12日建立)

本殿


石碑