御堂観音

岩手郡岩手町御堂3-9 (令和5年7月29日)

東経141度14分47.53秒、北緯40度02分10.30秒に鎮座。

この寺院は、いわて銀河鉄道・奥中山高原駅の南南東3km程の辺り、御堂の街外れに鎮座しております。

御本尊 十一面観音

由緒
當山は大同2年(807)坂上田村麿将軍の創建にかゝる勅願の名刹正覚院といわれ、本尊十一面観音、奥州三十三番中三十二番の霊場である。 御詠歌
よしあしを何といわでの岩つゝじ まよいをてらせ九世の誓いに

その後天喜5年(1057)旧6月源頼義義家父子が安倍頼時貞任宗任等を討伐(前九年役)の際観音の霊験によって清水を得大勝を博したので感謝のため一宇を建立して義家の念持佛黄金の千手観音像を安置し新通法寺と称した。
この清水は弓弭の清水と名付けられ北上川の源流となり、御堂村の名も生まれたといわれる。戦国時代(天正の頃)に一時行方不明の観音像が羽柴秀吉の持佛となっていたところ蜂須賀小六正勝抜群の戦功あり、秀吉から恩賞として正勝に下賜され、以来蜂須賀家の至宝として代々の崇敬厚かったが宝永7年(1710)11月徳島藩主蜂須賀飛騨守隆長の姫春子の方が南部32代利幹公の奥方として入輿の時に持参せられ奇しくも百数十年ぶりで再び南部にお國入りとなったのである。
爾来南部家では城中奥深く代々の太守自ら鄭重に祭祀を司どられるならわしとなって今日に及んだ。
この御本尊の徳島時代に同藩の危急を救われた不思議の霊験あり「はらみ観音」の名で愈々尊崇を受け、南部藩においても屡々御利やくを現わされ其のほか信仰、祈願の者に対する功徳利生の実例も数多く従って賽者跡を絶たず現在に至っている。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

楼門

境内入口の焼香炉

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和5年(1930)旧7月9日建立)

本堂


北上山水神

弓弭(ゆはず)の清水

末社

川の駅