熊野神社

胆沢郡金ケ崎町西根鶴ケ岡35 (平成26年8月23日)

東経141度05分13.46秒、北緯39度11分47.83秒に鎮座。

この神社は、JR東北本線・金ヶ崎駅の西3km程の辺り、街中を外れた山際に鎮座しております。

御祭神 伊邪那伎命・伊邪那美命

御由緒
延暦二十年(西暦801年)坂上田村麻呂公の蝦夷征討のおり、公は士卒等を従え当地にさしかかった。その時、一天にわかにかき曇り、大木は倒され小石までもが吹き飛ばされるような凄まじい嵐となった。士卒等は蝦夷の首領悪路王の呪いに違いないと恐れおののき、一歩も前に進めなくなってしまった。
田村麻呂公は日頃から信仰の厚かった熊野権現にご加護を一心に祈られた。すると雲の切れ間から鶴が現れ一同の前に舞い降り、「御世万歳」と叫ぶと雲は晴れ渡り、荒れ狂っていた嵐もすっかり収まってしまい、田村麻呂公等は難を逃れることができた。これにより、公が熊野権現の神恩に感謝してこの地に建立れた社が当神社の始まりと伝えられている。
その後暫くは荒廃していたが、中世この地方を支配した柏山伊勢守によって再興され、修験の良善院により神仏習合の祭祀が明治まで続いた。明治政府の神仏分離の方針によって修験は廃され、慈覚大師作の本尊不動明王は当社および当地方の堂宇の多くの仏像とともに焼き払われたと伝えられている。また明治四年西根地内の十三社を合祀し、以来「合社」と呼ばれ現在に至っている。同年、大教宣布の詔により村社となった。
西根地方には紀州の本宮・速玉・那智の熊野三大社と同様に現在も三社の熊野神社(当社・西根ニッ堤鎮座熊野神社・西根鶴ヶ沢鎮座熊野神社)が杷られており、熊野三所権現と称されている。
由緒書き より。

水田の中に立つ一の鳥居

神社遠景

入口脇の石碑

二の鳥居

入口の備前焼狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

境内入口

境内

拝殿

本殿


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