天満社

一関市花泉町花泉東鹿野48 (平成26年8月21日)

東経141度10分56.32秒、北緯38度50分03.28秒に鎮座。

この神社は、JR東北本線・花泉駅の北500m程の辺り、花泉の街中に鎮座しております。

御祭神 菅原道真公・木花開耶姫命

由緒
應永34年(1427)9月25日中村城主中村和泉守平信房の勧請。明治43年(1910)8月1日山の神社を合祀。
平安時代の学者で(菅原道真公)政治家。父を是善といゝ代々学者の家柄で殊に道眞は学徳にすぐれていた。清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の五天皇に仕え、殊に宇多天皇の御信認を受けて重く用いられ、次いで醍醐天皇の御時には、右大臣に進んだ。その頃藤原氏の一族時平は左大臣として道眞と共に政に與かっていたが、道眞の人望が高く天皇の御信任が厚いのを妬み一味の人々と謀って道眞は悪い企をしていると、讒言したので官を下げられて太宰権師に任じられ延喜元年(901)正月九州太宰府に遷された。併し道眞はそのために朝廷を怨むようなことはなく、却って皇恩の深いのに感泣しながら同3年(903)2月、59才で太宰府に薨じた。後に無実の罪であることが明らかになり、一条天皇の御時に正一位太政大臣を贈られ、天満自在威徳天神という神に祀られた。福岡県の太宰府神社及び京都府の北野神社はこの神を祀ったもので今の世までも学問の神様、天神様と崇められている。
境内由緒書き より。

時は應永34年なり。天候も順調にして4月頃より晴天打続き百姓は天候に恵まれて仕事も大いに捗り一同に喜び勇んで毎日野良仕事に精を出していた。然るに5月の田植期に至っても一回の降雨も無く、田は耕しても灌ぐ水に窮した。溜池という溜池は湛えた水は皆干せて溜池の底を現し川は涸れて引くべき水は一滴もないといふ有様である。
折角馬鍬を通した田も次々と亀裂を生ずるに至った。農民は毎日天を仰いで一時も早く降雨を祈ったのである。然れども何等の功驗もなかった。城主中村和泉守はいたく之を察して平素信仰の天満宮に降雨の祈願をかけ領内の者に布令して7日間の精進雨乞の祈願を命じた。7日の祈願の終へんとするに其の日、日中天は全くかき雲り大雷鳴あり忽ちにして盆を覆へし様な大雷雨は肺然として数時間に渉り降り続き田も溜池も溝も川も一時に水を湛えた。時に此の降雨中大雷鳴と共に光輝燦然天より降下せるを見、これを城主に告ぐ。城主は直ちに人を遣わして之を調査せしむるに、豈計らんや光目映き神鏡の御降下であった。これ即ち神霊なりと城主大いに感激し祠を建ててこれを祀る後に今の地に社殿を造営し鎮守の神とたたへて篤く之を祀る。今の天満社である。今尚神鏡降下の地を「降る天神」と称して神聖の地と保存す。
岩手県神道青年会公式サイト より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

本殿


石碑