一関市舞川太平5 (令和5年7月24日)
東経141度10分04.84秒、北緯38度58分48.04秒に鎮座。
この神社は、JR大船渡線・陸中松川駅の西7km程の辺り、太平の街外れに鎮座しております。
御祭神 伊邪那岐尊・白山姫神・倉稲魂命・熊野大神
由緒 | ||
養老2年 | 718 | 羽場白山岳に白山妙利社勧請 祭神菊理姫命 陸奥県守多治見直人建立と伝える |
延暦18年 | 799 | 吉祥山に馬頭観音勧請 坂上田村麻呂東夷征伐の折り祈願の為 吉祥山東城寺を建立する |
嘉祥3年 | 850 | 慈覚大師東北巡陽の折り吉祥山に錫杖を止め多羅葉の木にて四尺二寸の聖観音像を彫刻安置すと伝う |
仁寿2年 | 852 | 往時東山 舞草 小字穴の倉に鎮座する稲倉明神社 舞木神に従五位下を授かる |
延長5年 | 927 | 既に延喜式神明帳に登載の舞草神社である |
承平元年 | 931 | 白山社跡近くに金鋳神社跡がある 舞草安房以来二神を深く信仰してその守護により 無双の名剣を代々約300年間に亘り造り続けたと伝えている |
天正2年 | 1574 | 吉祥山東城寺野火の為に堂塔社炎上す |
文禄元年 | 1592 | 吉祥山一山の堂社宇僧坊同年3月12日野火為炎上する 神社直属の三枝称宜これを深く嘆き御霊を穴の倉に鎮座する稲倉神社に遷座して稲倉明神と称える |
寛永19年 | 1642 | 往時吉祥山は羽場村なるもお村直しの令により 羽場村の一部を合併して舞草村と相成る |
寛保3年 | 1743 | 御上より稲倉明神に舞草神社稲倉大明神の神号を賜る |
明治2年 | 1869 | 神仏混淆禁止令により吉祥山東城寺より聖観音像並びに仁王像を別当宅地内の大悲閣内に安置する |
明治4年 | 1871 | 同村穴ノ倉鎮座の稲倉大明神社より10月26日御霊を当観音堂地に遷座 延喜式内舞草神社と称える |
明治9年 | 1876 | 当年9月17日舞草神社三間四面の堂 炎上 隋神門を残し焼失する |
明治39年 | 1906 | 舞草神社本殿 拝殿落成 |
大正2年 | 1913 | 同村川岸鎮座の熊野神社を合祀 |
昭和12年 | 1937 | 本拝殿改築する |
舞草鍛冶遺跡
日本刀の完成にあたって、欠くことができなかった奥州の刀剣、それが舞草刀(もくさとう)です。鉄落山と別称される白山岳を有するここ舞草はそのふる里と考えられています。
舞草鍛冶の活躍は、京都・観智院に伝わった現存最古の銘尽をはじめとする数多くの刀剣書、また、説話集や物語など、古くは平安時代から語りついでいます。
この鍛冶遺跡の確定を目指し、岩手大学や一関市教育委員会は地元と一体になって発掘調査を実施し、これまでタタラ跡や鞴の羽口、鏃、おびただしい鉄滓の発見など数々の成果をあげています。今後はより一層の解明が進むものと期待されています。
境内由緒書き より。
表参道。今は使われていないようです。
鳥居
随身門
随身様
参道
境内入口
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
拝殿
本殿
末社
石塔
神楽殿