熊野神社

一関市弥栄沼畑112 (平成26年8月21日)

東経141度15分22.07秒、北緯38度53分41.06秒に鎮座。

この神社は、JR大船渡線・陸中門崎駅の南2.5km程の辺り、国道284号の北側、小山の上に鎮座しております。

御祭神 伊弉冉尊・事解男命・速玉男命

由緒
当熊野神社は正応5年(1292)8月、当郷の城主葛西家臣千葉山城守持高の祈願により居城館(旧館宝館)に社殿を建立し、楊生村の鎮守として紀州牟婁より三熊野大権現の神霊を勧請し奉り、瀧澤山神光寺自光坊光辨を別当に定めたるに創り、その後260年間戦国の世の変遷を経て、社殿が破損したるにより、持高の裔孫千葉山城主持家弘治2年(1556)9月新館山の現地に社殿を建立し、神霊を遷し再興されたと安永風土記等に記録されている。以来江戸時代を通して楊生村の鎮守神として崇められ、明治以降も弥栄本郷平沢両地区の氏子の守護神となっている。

昭和5年に弥栄本郷部落の農家組合の有志により計画されて始まった。献膳祭は昭和22,23年の水害の年も休まず続けられ現在に至っている。第3回目の昭和7年には、旧一関藩主の御子息海軍少将子爵田村丕顕氏ご臨席の下盛大に斎行されたと古老達より言い伝えられている。
岩手県神道青年会公式サイト より。

参道入口

鳥居

参道

拝殿

拝殿内部


馬頭観世音