保呂羽(ほろは)神社

一関市藤沢町保呂羽二本柳213 (令和5年8月3日)

東経141度23分09.15秒、北緯38度51分08.12秒に鎮座。

この神社は、JR大船渡線・小梨駅の南7km程の辺り、保呂羽山の西側近くに鎮座しております。

御祭神 大名持命・少彦名命・日本武命

由緒
元慶六年(882)中、紀伊国金峯山より分霊を奉じ僅かに第祠を営じ保呂羽山頂に鎮座奉り、即ち仰いで保呂羽山大権現と祀り奉る。天正十年(1582)信者挙げて宮殿を再興せしも、嘉永二年(1849)三月中野火蔓延して焼失、暫し仮宮に斎奉り、安政二年(1855)三月中、崇敬篤志の人々挙げて現在の社殿を造築する。
東山はもとより、江刺・胆沢・磐井・登米・本吉・気仙地方からの崇敬者多く、旧3月・6月・9月の各25日の祭日は勿論、四季にわたり善男善女お山に登り賑わう。
女人は本殿を下る数百歩の所にある下り居堂(女人堂)で参拝し、本社の登ることを禁じた清浄無垢の地として維新まで続いたお社である。お山は本を忘れざるため金峯山、白雉生息するがため白雉山とも唱えられる。
昔時、肥後国熊本城主細川越中守並びに一門の諸公の尊信篤く、しばしば人を遣わし代参させ、金品を献納された。明治初年(1868)まで東山南方十八ケ村の総鎮守のお社である。
閏年の6月例祭日には、式年祭として平成4年に保呂羽神社創建1110年を記念して御神輿御巡行が、復活され神社奉賛会のもと氏子、崇敬者挙げて盛大に行われている。
岩手県神道青年会公式サイト より。

鳥居

神額

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿内部

本殿覆屋


末社

石碑

境内よりの眺め