一関市大東町大原八幡舘51 (令和5年7月24日)
東経141度24分39.14秒、北緯39度00分51.04秒に鎮座。
この神社は、JR大船渡線・摺沢駅の東北東6km程の辺り、大原八幡舘の街外れに鎮座しております。
御祭神 譽田別命
由緒
後冷泉帝康平5年(1062)伊豫守源頼義子義家と共に陸奥の豪族安倍頼時貞任父子を征討するや當地に来って八幡岡(源父子屯陣したるを以って此の名在り、一つに新山城とも云ふ)(八幡神社は此の麓に在り)に陣し義家祠を建立して山城國岩清水八幡宮の分霊を遷祀し、兵器並に神領を寄進して戦捷を祈願したる霊社なり。貞任父子誅に服し、禍乱平定後頼義奉請して藤原清衡を鎮守府将軍に任し奥羽二州を鎮せしむ。清衡乃ち其居城江刺郡豊田を去り大に平泉に城き仁政を布き社寺を建立して國家の安寧と一門の武運長久を祈願す。而して當地に鎮座する續石神社は大原神社と称し、文徳實録に載する所の霊社たるを以て清衡より秀衡に至るまで三世90年間春秋幣物を捧げて祭る。ことに又八幡宮(大原神社を距る僅に7丁)に詣で國運の隆昌を祈願するを例とす。・・・・・・
境内由緒書き より。
参道入口
参道
神門
神門前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
8月中旬の大原「だるま祭り」使用される「大だるま」、現在作成中のようです。
参道
拝殿
本殿
末社
報徳二宮神社
天照皇大神宮
石碑