熊野神社

花巻市石鳥谷町好地8-118(平成22年8月20日)

東経141度9分4.27秒、北緯39度29分42.43秒に鎮座。

 この神社は石鳥谷駅の北約700m、102号線に面して鎮座しています。
 神社前面は巨大な赤松林。その奥に豊かな鎮守の杜が見えます。入口から境内までに三基の鳥居が立ち、参道奥には白色の綺麗な拝殿、落ち着いた弊殿、本殿が建立されています。又、境内社や石碑などが境内のそこかしこに点在し、狛犬も5対もいて、昔日からのこの社への崇敬の深さが偲ばれます。

 御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、少名毘古那命、宇迦之御魂名
 祭礼日:4月8日、9月8・9・10日
 境内社:山祇権現、稲荷神社・弥勒尊、足尾神社、照霊社、古峯神社、松尾神社
 由緒:この社は、明治の社寺改革に際し、好地内、三つの神社を合祀し、薬師堂を社殿と定め、社格は村社、熊野神社と申し上げ、その後社格制度が廃止され、宗教法人となり現在に至っている。
 「お薬師さん」と申し上げる方もあるのは、もともとこの地には「薬師堂」があったからです。平成3年鎮座四百年記念事業として、現在の拝殿が新築された。
 熊野大神 天正9年(1581)4月15日紀州熊野大社の神官代理、熊井左元が国家安康を祈り分霊を棒持して全国巡回の途次、好地村上好地、菊池佐左衛門宅に投宿された。佐左衛門所有地内に安置してあった早池峰山の奇岩に分霊を奉斎し、社殿を建立し崇敬してきた。明治になり、この地に遷座合祀したものである。
 薬師大神 天正15年(1587)稗貫郡大瀬川の領主瀬川隠岐守重宗の夫人が眼病を患った際、少名毘古那命に祈願したところ間もなく平癒した。城下葛巻川のほとり一宇を建立し、深く帰依していたところ、大洪水のため流失してしまった。幸いにも、支流石沢川医王ヶ淵に沈んでいるのを照井大学が見つけ、その像をひきあげ、石沢山に神殿を建立し、この流域の守護神として崇敬してきたが、再三の山火事で被災するため、宝暦年中、参拝の便宜のため、現在地に遷座したものである。
 稲荷大神 石鳥谷開発の恩人として崇敬される菊池数馬の守護神として「田屋」に社殿を建立し、好地稲荷神社として、近郷南部藩主より社号の額や、祭祀料を奉献されるほどであった。神社の位置については、田屋というところから、好地院境内(今の鳥谷寺)に移り、そして明治の社寺改革により現在地に遷座合祀したものである。

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社頭
社号標 入口に立つ一の台輪鳥居
一の鳥居後ろにいる建立年代不明の狛犬
この地には珍しい滋賀型の狛犬で、阿は玉を持ち、吽は子狛をつれています。
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参道途中に立つ二の台輪鳥居
出羽三山碑、庚申塔 雷神
参道の様子
参道途中に立つ三の両部鳥居
境内の様子
拝殿
拝殿目抜き彫刻・波と亀
拝殿木鼻・龍
弊殿
本殿
境内社:山祇権現
山祇権現を護る建立年代不明の出雲丹後狛犬
阿は玉を持った子狛を連れています。
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境内社:稲荷神社・弥勒尊 境内社:足尾神社
境内社:照霊社
入口、社殿、忠魂碑
照霊社を護る建立年代不明の狛犬
馬魂碑傍に、もう一対全く同じタイプがいます。このふんぞり返り方は招魂社系狛犬の一種なのでしょうが、首長の猫のように見えます。招魂社系は厳めしくて余り好きにはなれないのですが、この子達は適当にお惚けで可愛らしさがあり、好感が持てます。又、コンクリート製なので昭和初期の作品かもしれません。
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境内社?宝物庫? 境内社:古峯神社
境内社:松尾神社
入口、拝殿、弊殿・本殿、石碑
馬魂碑
馬魂碑を護る建立年代不明の狛犬
照霊社にもう一対全く同じタイプがいます。このふんぞり返り方は招魂社系狛犬の一種なのでしょうが、首長の猫のように見えます。招魂社系は厳めしくて余り好きにはなれないのですが、この子達は適当にお惚けで可愛らしさがあり、好感が持てます。又、コンクリート製なので昭和初期の作品かもしれません。
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山神、庚申塔 庚申塔
鳥海山、出羽三山碑 出羽三山碑
金毘羅大権現碑 天照皇太神宮碑
十和田山碑 古峯神社
八将神 神楽殿
ご神木・ユリノキ
ご神木・夫婦杉
東参道入口にいる建立年代不明の狛犬
体型は若々しく小型犬のように見えますが、眉毛が下がってやや下向きの為か老齢を感じさせる狛犬です。
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東参道入口
東参道入口に立つ台輪鳥居