鏑八幡神社

花巻市東和町土沢5区169(平成22年8月20日)

東経141度13分55.25秒、北緯39度23分8.61秒に鎮座。

 この神社は花巻市東和総合支所と222号線を挟んでちょうど北反対側に鎮座しています。
 一の鳥居の立つ222号線から100m弱北に入ると、社号標と二の鳥居の立つ神社の入口です。参道には両部鳥居が立ち、神橋を渡ると石段となり、境内へと上がります。境内入り口には建立年代不明の狛犬がいて、優しい顔で出迎えてくれます。正面には拝殿、本殿が建立され、左右に境内社、石碑などが配されています。中でも長沢稲荷神社の社殿は狐さんで造られた珍しい物です。

 御祭神:誉田別神、田心姫神、息長帯姫神、軻遇突智神、湍津姫神、大己貴神、保食神、市杵島姫神
 祭礼日:9月15日
 境内社:塩竈神社、尾光稲荷神社、長沢稲荷神社、山神社、古峯神社他
 由緒:創建は康平年間(1052〜1063)頃と言われ、鎮守府将軍源頼義・義家父子が安倍頼時・貞任・宗任等退治の勅命を受けて、奥州へ下向の折り、義家がこの地へ布陣しました。義家は戦勝祈願の為、青砂を敷き、白羽の鏑矢を立て八幡菩薩の御霊とし、従臣もこれに従い各々鏑矢を立て、その数は十二本、それに太刀一振・祈願書一巻を奉納し、従臣共々祈願されました。その後みごと安倍氏を平定する事が出来たので此の地に社殿を建立しました。
 この鏑矢の由来を以て、村名を十二ヶ鏑矢村と称して来ました。ところが江戸時代・寛文7年、此の村名の由来を聞いた巡見使が「長すぎる」と言い、「十二ヶ村」と改めさせたために、以後は「十二ヶ村」と呼ぶことになったと伝えられています。
 明治3年4月の「十二ヶ村戸籍」に始めて「鏑八幡神社」の名称が記載されており、同5年3月に村社に列しました。
 現在の鏑八幡神社は正徳元年に再建したもので花輪市指定有形文化財となっています。又、土沢神楽舞は大償神楽直系の神楽とされ、歴史は道具の中に天保、弘化など江戸時代の年号が含まれている事からそれ以前から伝わっていると考えられています。土沢神楽舞は岩手県指定無形民俗文化財に指定されています。

222号線の参道入口
222号線に立つ木製一の鳥居
社頭
社号標 神社入り口に立つ二の台輪鳥居
参道途中に立つ三の両部鳥居
神橋
石段参道
境内入り口
境内入り口にいる建立年代不明の狛犬
阿吽の位置が反対で、阿には宝珠、吽には大きな角が付いています。縦型の体型で奥目、前後の足の間は刳り抜かれておらず、前足をややずらすこの造りは、どちらかというと宮城の狛犬の作り方です。江戸時代にはこの辺りは陸奥国でしたが、すぐ南に隣接している北上市までは仙台藩でしたから、宮城と類似した狛犬がいても不思議ではないのかもしれません。又、建立年代不明とはいうものの、奉納者名に「酒屋 儀兵衛」とあるので江戸時代の物かと思われます。たおやかな体型と優しい顔つきで、私の大好き系の狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
本殿
境内社:塩竈神社
鳥居に掛かる額 塩竈神社社殿
塩竈神社に奉納されている大釜
出羽三山 筆塚
境内社 土俵
境内社:尾光稲荷神社入り口
鳥居にかかる額 尾光稲荷神社社殿
境内社:長沢稲荷神社 境内社
長沢稲荷神社社殿
狐さんが社殿代わりに建立され、中に大きな石が置かれています。
境内社:山神社
神楽殿 境内社:古峯神社入り口
鳥居にかかる額 古峯神社社殿
大東亜戦争戦没者慰霊碑 忠魂碑
ご神木
ご神木