丹内山(たんないさん)神社

花巻市東和町谷内2-303 (令和5年7月28日)

東経141度17分10.41秒、北緯39度20分35.18秒に鎮座。

この神社は、JR釜石線・晴山駅の南東3km程の辺り、東和町谷内の街外れに鎮座しております。

御祭神 多邇知比古神

由緒
この神社の創建年代は、約1200年前、上古地方開拓の祖神、多邇知比古神を祭神として祀っており、承和年間(834〜847)に空海の弟子(日弘)が不動尊像を安置し、「大聖寺不動丹内大権現」と称し、以来、神仏混淆による尊崇をうけ、平安後期は平泉の藤原氏、中世は安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられる。さらに、明治初めの排仏毀釈により丹内山神社と称し現在に至っている。
この本殿は、現存の棟札によると、文化7年(1810)に再建されたもので、盛岡南部利敬公の代、当時の別当は小原和泉實吉であり、棟梁には中内村の吉重郎、脇棟梁に八重郎・宇助が造建にあたったことが知られる。
この建造物の特徴として、本殿の内陣には、権現づくりの厨子が据えられており、正・側面の外壁一面に中国の古事や古事記・万葉風の彫刻、脇障子は唐獅子と牡丹が彫刻されている。県内の社寺建造物の内では彫刻装飾優位の建物で、当時の地方大工の力量を知ることのできる貴重なものであり、平成2年(1990)5月に県指定有形文化財(建造物)となっている。
又、本殿の左側山頂付近の経塚(県指定史跡)から全国でも数個しかないと云われる影青四耳壺(白磁無紋の壺、北宋の花瓶)、湖州鏡、中国古銭、経筒など(県指定文化財)が出土しており、平安時代末期頃からの地域の優れた文化の跡が偲ばれる。

当神社は地方開拓の祖神として栄え、延暦年間(782〜805)、坂上田村麻呂が東夷の際に参寵される等、日ごと月ごとに霊験あらたかで、嘉保3年(1096)頃から当時の官領藤原清衡公の信仰が篤に厚く、耕地24町歩を神領として寄進され、また山内には御堂108ヶ所を建立し、108躰の仏像を安置した社と伝えられています。藤原清衡は、隣の郡である江刺の餅田の館に居住していたことから、当神社に距離も近く、毎年の例祭には、清衡自ら奉幣して、祭りを司っていたと言われています。その後は、安俵城主小原氏、(平清義、時義、義清)更には、南部藩主南部利敬公の崇敬が厚く、藩主の祈願所として栄え、現在に至っています。
境内由緒書き より。

境内より北西1km程の辺りに立つ一の鳥居

途切れる参道

境内より300m程西の参道入口。

神社入口

四の鳥居

参道

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

五の鳥居

神門

御本社


観音堂・祖霊社・相殿

胎内石

駒形神社

安産の神 疱瘡神

加茂神社・八幡神社