諏訪神社

花巻市上諏訪294 (平成26年8月24日)

東経141度06分33.52秒、北緯39度22分17.24秒に鎮座。

この神社は、JR東北本線・花巻駅の南2.5km程の辺り、上諏訪の街中に鎮座しております。

御祭神 建御名方命

由緒
当神社は、信濃国高嶋の城主諏訪氏の一族にして代々諏訪の郷に居住していた諏訪掃部と云う人が崇敬していた守り神を明徳3年(1392)に祀ったと伝えられております。
元弘3年(1333)諏訪掃部は建武中興に際して、鎮守府将軍北畠顕家に従って陸奥に下った。
建武2年(延元元年)(1335)の秋、足利尊氏が謀反して今日を侵すや、顕家はこれを討たんがために奥羽二州の兵を率いて上京し、尊氏を九州に追い落として帰任した。足利がまた勢力を盛り返したので再び延元2年(1337)8月兵を率いて出発し往く往く賊と戦うも、翌年(1336)5月摂津阿倍野(大阪付近)に於いて、顕家は不幸にも戦死した。興国元年(1340)弟の顕信が鎮守府将軍になったので、これに従って陸奥に下向した。その後、正平7年(1352)3月、足利勢の吉良貞家の襲撃にあって敗れ挫折した。
掃部は根子氏を頼ってこの地に落ち延び、秘かに風雲を観望するに足利の勢益々盛んになり再起も空しく時を経るうちに、明徳3年(1392)南北両朝相分かれること56年にして和議が成立し、世の中も鎮定した。しかし自分は世に容られぬまま老境にはいったが、顧みれば不遇の身であっても、戦乱の世に一生を得ることが出来たことは氏神の加護によるものと深く信じ、神殿を建立して生涯崇敬の誠を捧げたと伝えられております。
天正年間(1573-1591)より村人の信仰を集めて村の鎮守と崇められ、五穀豊穣と村中安全を祈り春秋の祭典を厳修し今日に至っております。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

拝殿

本殿覆屋


末社

石碑

御神木