春日神社

珠洲市飯田町17-50 (平成21年7月15日)

東経137度15分46.97秒、北緯37度26分05.79秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
この神社は、能登半島の先端、珠洲市。その珠洲市、市役所の北200m程の辺りに鎮座しております。近郷七ケ村の総社に相応しい規模と雰囲気を持つ落ち着いた神社です。

御祭神 天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比淘蜷_
由緒
当神社は初め若山社と称え天児屋根大神を祀り近郷七ケ村の総社と仰がれ、後若山庄の鎮守神として御鎮座になり現在に至る。若山庄は今より830年前の康洽年間に建置され初め皇嘉門院の所領なりしが、まもなく九條家の荘園となり政所に日野家を置く。九條家にては荘園の鎮守神として弘長元年、今より約七百拾余年前に奈良春日大社の御分霊を社家葛原伊勢守秀行をして此の地に奉遷せしめ春日神社と改称し奉仕の社家は葛原氏の外に黒木、鈴浦氏あり、別当に報恩坊を置く。また荘園の各地に神供田を設置され今も各地に春日田の遺跡存在す。社地は数町歩の広大なる地域にて春日山と称え社殿を造営す。その後文明年間に現在地に遷され明治に到る。参道は馬場と称えられ一ノ鳥居、二ノ鳥居、一ノ橋、二ノ橋等その地形は鎌倉時代の神社境内を示す特長あり。また本殿は室町時代の創建と伝えられ現在に移築せる後徳川前期頃飛騨の匠によって改築されしとも伝えられる。
石川県神社庁公式サイトより。

神社入り口と社号標

参道

右手の立て札は、大伴家持の歌。大伴家持は29歳の時、越中国、国守としてこの地にやって来たようです。その時詠んだ歌。「珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり」。

拝殿

参道の出雲丹後狛犬

御神木